こんにちは、新里です。
今日は父の診察に付き添ってきて、先ほど帰ってきたところです。
いや~、疲れました(´Д`) 3時間以上の待ち時間ですよ・・・。
排尿器科は混んでました。やはりというか当たり前なのかもしれませんが、ほとんどの方が70歳以上の患者さんでしたね。それに高齢者だから付き添いの人も多くて、ソファーが足りなかったです。
とりあえず父を座らせて私は立ちながらiPhoneをいじってたんですが、
看護婦:「新里さん~、中へ入って下さい」
私:(おっ、いきなりかよ、思ったより早いな・・・。)
今日は次回の生検の説明と検査の同意書等を書くだけの予定なので、うちの父ちゃんの優先順位は低いだろうから、遅く呼ばれるだろうなぁと覚悟していたのですが、意外とお早い呼び出しでした。
どうやら血液検査もやるらしい。その数値が良ければ再来週の前立腺の生検を予定通り行うとのことらしい・・・。そしてその血液検査の結果は、早くても1時間以上かかるということなので、「先に終わらせときましょう」と、看護婦さんがおっしゃっていました。
なるほど、少なくともあと1時間以上かかるわけだな・・・。
ま、まぁ想定の範囲内です。 (; ̄ー ̄A アセアセ・・・
ところがですよ、次のお呼び出しがかかるまでに、なんと3時間もかかりました。(汗)
私はずーっと「前立腺がんに良さそうなもの」をひたすら論文検索していたので暇ではなかったのですが、父はかなり短気なので機嫌が悪くなっててかなりうっとおしかったです。(笑)だからあれほど「本持って行け」と言ったのに・・・。
父:「おい、ここ(排尿器科)だけテレビが置いてあるだろ? これは相当待つからに違いないな」
父:「おい、たぶん明日までかかるだろうから宿借りて来い」
まぁ、排尿器科以外の待合室にもテレビはちゃんと置いてあるし、「宿借りて来い」とかギャグのつもりなのか知りませんが、ほんとクソつまらねーし、(笑)まあそれだけ元気がある証拠だと思って好意的に受け止めることにしました。(^^;
父が呼ばれたのはやはり(?)最後でした。
既に1時半を回っていて私達以外はだれも待合室にはいませんでした。
待っている人も大変ですが、医師もほんと大変ですよね。昼飯も食わずにぶっ続けですからね・・・。
医師の平均寿命は短いそうですが、単純な話、「過剰労働」と「不規則な生活」が原因だと思います。
私達のような不養生な患者が多いばっかりに自分の健康を犠牲にしなければならないというのは、こちらからしたら本当に申し訳ないです。
私は小さい頃から病弱でしたが、(大腸がんを除けば)命に関わるような病気を患ったことがなかったため、病気が治っても医者に対してあまり感謝の気持ちを持ったことがありませんでした。むしろ「仕事なんだから当然じゃん?」ぐらいに思っていました。
しかし、麻酔から醒めて、ぼんやりとした視界の右上の方に執刀医のO先生(現在は主治医でもある)らしき人の形が見えて、私に向かってこうつぶやいたんです。
O先生:「全部うまくいったからね。もう大丈夫だよ」
意識がぼんやりしていたにもかかわらず、計り知れないほどの「安心感」に包まれていたことを、今でもはっきりと思い出すことが出来ます。
と同時に、自分の「仕事」や「人間関係」に対する考え方があまりにも幼稚だったことに気づきました。
薄っぺらいギブ&テイクの関係だと、「金の切れ目が縁の切れ目」状態になり、簡単に破綻する
- 医者と患者の関係、
- お店や企業とお客様の関係、
- 上司と部下の関係、
- 先生と生徒の関係、
- 政治家や総理大臣と国民の関係、
- 恋人同士の関係、
- 夫婦同士の関係、
多分、単純なギブ&テイクな関係じゃダメなんですよ。不条理なことをする上司もいれば、全く使えない部下もいる。こちらは精一杯尽くしているのに、相手は全く振り向いてくれないとか、(笑)そういう人達はどこにだっています。
居心地の良い人達しか周りにいないような「夢の環境」はまずありません。
かみ合わない人達もひっくるめた大きな意味での「関係性」に対し、どれだけ思いを馳せ、その「関係性」自体に感謝できる要素を、いくつ発見できるかが大事だと思うんですよね。
その感謝の気持ちが土台にあってはじめて「良好なギブ&テイク(契約)」が結べると思うんです。
これは私の個人的な考えなんですが、そうじゃないと納得出来ないんですよね・・・。
だって私と主治医が単純なギブ&テイクの関係だったとしますよね。つまり、「お金」と「手術スキル」という単純な関係です。
そうするとね、私の手術代は10日ほどの入院費込みで10万足らずだったんですよ。。
私は手術してなければ今頃はこの世にいないでしょうから、私は10万足らずで命が助かったことになります。(日本の健康保険制度、万歳!)
でもこれね、逆に考えてみると、
ということになりませんか?ほんとに「お金」と「手術スキル」の単純な交換だったとしたら、私の命、あまりにも安すぎやしないでしょうか(´;ω;`) あまりにも悲し過ぎますわ・・・。
たぶん、私は「お金以外のなにか」を医者に払っているはずだし、主治医のO先生だって「手術スキル以外のなにか」を患者に払っているはずなんです。そしてその「なにか」が付加されることによって、「良好なギブ&テイク(契約)」が結べているんだと思うんです。
そういうギブ&テイクの関係じゃないと、おそらく長くは続きません。遅かれ早かれ破綻します。だってそんな薄っぺらい関係だと、金がなくなったときに、だーれも助けてくれないから、(苦笑)まさに「金の切れ目が縁の切れ目」状態です。
金がなくなった時でも助けてもらえるのが「良好なギブ&テイク(契約)を築けている」と言えるのではないでしょうか?
そしてそのような関係を結べている人は、金だけで関係を繋ぎとめているのではなく、「感謝の気持ち」とか「愛」とか、色々なもので「二重三重の太い関係」をがっちり作っているから、困難に直面したときに強いんだと思います。
多分医者と患者の関係って、「お金」と「手術スキル」のギブ&テイクな関係じゃないんですよ。
それだけじゃなくて、患者さんから「色んな何か」を頂いているから10万円ほどのお金で済んでいるんじゃないですかね?
それが「お金で買えないもの」だから、昼飯を抜いてでも、自分の健康を害してでも仕事を続ける熱意が湧き上がってくるのかなぁと、何時間も待合室で待たされながら考えていました。
横目には、待ちくたびれてイライラと疲労が入り混じってる父がいます。
さらに奥の方に目をやると、忙しそうに血圧を測っている看護婦さんがいます。
どちらの顔も不満たらたらですが、(笑)たぶんそれは単純なギブ&テイクな関係でしかお互いを捉えていないからだと思うんですよね。
看護婦さんからしたら、給料に見合わない忙しさをひしひしと感じているだろうし、特に排尿器科ですからね、「ご老人は話し出すと長い、説明しても理解しない」でかなりストレス溜まるでしょう。(笑)
患者さん(父)は患者さんで、予約どおり朝8時に来たのに何で昼過ぎに呼ばれるのか?(´・ω・`) わけ分からないでしょう。 「そんなに忙しいんだったら医師や患者の数を増やせばいいし、途中で帰って1時くらいに来てもいいんじゃないのか?」って考えることもあるでしょう。
両方ともお互いを単純なギブ&テイクな関係でしか見れてないから視野が狭くなってるのがよく分かります。
それだとやっぱりうまくいかないんですよ。先ほども書いたように「給料とサービスが釣り合うかどうか」でしか物事を見れなくなりますから、それだと「感謝の気持ち」より「不満」が溜まりやすいんです。
サービスを提供する側(医師や看護婦など)は、そのうち給料に見合ったサービスしかしなくなります。程よいサービスしか提供できない病院は、競合他社に患者さんを取られてどんどん潰れていきます。現に、名医のいる病院にばっかり全国から患者さんが集まっている現状があります。病院のジャスコ状態ですね・・・。
そうなると、今度はサービスを受ける側も損をします。今までどおりのサービスを受ける為には、もっとお金を払わなきゃいけなくなるからです。
つまり、私達患者は医療従事者に対して、「お金」と「お金以外のもの」をサービスの代価として医師や看護婦さんに払っていたのに、「お金以外のもの」に価値を見出さない世の中になれば、それを穴埋めする為にもっとお金を払う必要が出てくるからです。
なんでもかんでも「お金」で価値を測ろうとする世の中
どこかのファーストフード店が「笑顔はプライスレスです(*^▽^*)」みたいなキャンペーンを打ち出したことがありましたよね。ニュース記事でこれを見たとき、「あぁ・・・、とうとうここまできたのか」と思いました。
これね、「店員はお客様に対して常に笑顔で接しなきゃいけない」とか「スマイル0円」とか、そんな単純な話ではないと思います。「笑顔なんてものにまで経済の論理を持ち出してきた」ことが問題なんです。
笑顔が0円だろうが100円だろうが1000円だろうがプライスレスだろうが、値段の大小が問題なのではなく、「値段で測ろうとした」ことが問題なんです。
ぜーんぶお金で価値を測ろうとする試みの象徴が、あの「スマイル0円」じゃないでしょうか?資本主義の成れの果てだと思います。
市場原理は、まさに「お金でしか価値を測れない世界」、「金の切れ目が縁の切れ目の世界」を如実に体現しています。「資本のあるものが勝つ」「資本こそが一番重要(主義)である」という考え方が資本主義です。
売れない商品は淘汰され、競争から脱落した企業は淘汰される運命です。私の住んでるとこなんか、小さな商店街はどんどん潰れ、あちこちにでっかいジャスコが建っています。ただ、そこで私は1つ思うことがあるのです。
いや、資本は定義上「価値のあるもの」のはずなんですが、その価値を決めているのが「神の見えざる手」ではなく、「資本を持っている人」、つまり力のある人(組織)によって決められているのが現状なんです。全く民主主義じゃないんです。
みんなが、「あ~、これ面白いよね(*^▽^*)」とか、「これって、良いものだね(*^▽^*)」って思ったものが「価値あるもの」であり、大多数の人が「良い!」と思ったものが「価値あるもの」であるはずです。(もちろん大衆のほとんどが愚民化しているならばその限りではないのですが)
しかし、現実は資本を持っている人が「今度はこれを流行らせようかな( ̄ー ̄)ニヤリッ」と決めたものが「次の流行」になったり、「正義」になったりする世の中になっています。つまり、資本を持っている者が大衆世論をコントロールしたり、資本を持っている者が善悪を決める世の中になっています。これが資本主義の成れの果てです。
例えば消費税増税の話ですが、「景気の状況を判断し、最終的に首相が決める」と建前上では言われていますが、実質的に決めているのは財務省です。何故なら、財務省が「資本を持っている者」であり、「力を持っている者」だからです。
予算を組めなきゃ政府はなんにも出来ないんで、財務省は簡単に支持率をコントロールすることが出来ます。「支持率が高けりゃ、財務省は言うこと聞く」というのは根本的に間違っています。
あと最近、「ケツ揉んだ」さん、じゃなかった、みのもんたさんの話も話題になってますよね。あの一連のニュースを見たとき、はじめてリアルでコーヒーを吹きました。「あぁ、これがコーヒーを吹くということか、、ほんとに吹くんだな・・・。」とか思いながら、複雑な気持ちでモニターを吹いたんですが、(笑)あれはほんとーにひどい話ですよね・・・。
なんでセクハラされた側が責任とらされそうになってるですかね?(´・ω・`)
みのもんたにセクハラされた吉田アナに番組降板説…TBSに責任を取らされる?
どう考えても揉んださんが悪いのに、「酔っぱらって自分のカードだと思っちゃったのよきっと」みたいな素晴らしい論理を持ち出してきて、あたかも「揉んださんのせがれは悪くない」みたいな風潮をせっせと作り出している芸能界って、吐きそうなくらい汚い世界です。
神田うの、みのもんた次男を擁護 「酔っぱらって自分のカードだと思っちゃったのよきっと」
これも資本主義の成れの果てです。揉んださんのほうが女子アナよりも資本を持ってますから、善悪を決めれる立場なのです。私のような資本力のない一般ピーポーがやったら確実に捕まってますよ。(苦笑)
必ずしも「資本力がある = 価値がある」じゃないんです。上で見てきたように、資本力のある者がルールメイキングをしている世の中ですから、資本力のある者がほんとにバカだとどうしようもないものが作られたり、あり得ないことがまかり通るのですね・・・。
ただ、一言言っておくと、私は資本主義が一番マシな経済システムだと思っています。完全ではないのですが、共産主義や社会主義と比べて「資本力のある者」をひっくり返すことが出来る可能性が高いからです。
他の主義と比べて一番公平なシステムだと思います。(※あくまで「比べて」の話です)だから「日本は弱者に厳しい!」とか言ってる方々は、アフリカとかに行ってみたらいいと思います。
ただ、彼らの言うことも分かるのが、資本主義が行き過ぎると格差が広がるだけでなく、「機会」の格差も広がるので、「生まれた環境で大方決まってしまう」ってことがあるんですね。つまり、親の裕福さで人生がほとんど決まってしまい、努力だけでは「資本力のある者」に打ち勝つことが難しくなっているのが今の日本なのです。アメリカはさらに進んでいます。
何回も書きますが、(苦笑)これが資本主義の成れの果てです。たとえ一番マシなシステムでも、行き過ぎるとまずいんです。
こんな世の中になってしまったのは、大衆にも責任がある
しかし、こんな世の中になってしまったのは、私のような下層社会に属する人間も悪いんですよ。はじめの話に戻りますが、私達が「単純なギブ&テイクの関係ばかりに終始している」からです。
「お金」と「手術スキル」の単純な交換、「モノ」と「お金」の単純交換、「資本」と「資本」の単純交換・・・。
こんなうすーい「関係性」ばかりに終始していると、「資本力のある者」は喜びますよ。何故なら彼らと同じ価値観を共有していることになるからです。
彼らと同じ価値観とは、「資本のある者が勝つ」という価値観です。そして彼らの言う資本とは、一言で言えば「お金」です。
私達が「お金、お金、」ばっかりしていたら、「スマイルは0円」とか、(苦笑)なんでもかんでもお金で価値を測ろうとする考え方ばっかりしていたら、お金で私達を支配するのは簡単です。
ですから、お金をたくさん持っている彼らが喜ぶのは当たり前の話なのです。そう考えると、何故過去の歴史やヨーロッパの例があるにも関わらず、国民が疲弊し切るような経済政策ばっかり行うのかがなんとなく分かってきませんか?あくまで私の妄想ですが(笑)
ですから、資本力のある人達の言いなりにならない為にも、テレビに映っている人達が自分達の都合のいいように善悪の判断をつけない為にも、「お金以外の価値」を見つける努力をしなければいけないと、私は考えます。
昨日の父や看護婦を見て思ったんです。父はお金に見合ったサービスのことしか考えていないし、看護婦は給料とそれに見合わない仕事量のことしか考えていなくてお互い不満が溜まっています。
しかし、父は治療行為以外にも「色々なもの」を受け取っているし、看護婦だって給料以外にも「色々なもの」を受け取っているはずなのです。私達は本来そういうものにこそ「価値」を感じるし、こんな時代だからこそ、そういうものにもっと思いを馳せるべきではないでしょうか?
お金の価値が高いのはよく分かります。しかしそればかりを重視すると資本力のある者がほくそ笑むので、私達は意識して「お金以外の価値のあるもの」を感じていく必要があるのです。
その為には3時間待たされて不平不満を言うのではなく、はじめの方で書いたように、
「私」と「あなた」の関係性に思いを馳せ、かみ合わない面もひっくるめて「感謝できる要素」をつぶさに探していく態度が必要なのです。
確かに長時間待たされているのだけれども、お医者さんも昼飯時間を返上して私達の診療にあたってくれている・・・。
そういうことに「いくつ気づけるか?」だと思うのです。
そうすれば、かつての私が医者に抱いてた「仕事なんだから当然じゃん?」みたいな貧しい発想は出なくなります。良い態度で接すれば、相手(医者)も「手術スキル以上のもの」を私に与えてくれます。何故なら「お金以外の何か」を私が医者に与えたからです。
お互いが「良好なギブ&テイク(契約)」を結ぶことによって、お金の価値が相対的に下がります。
それで困るのは「資本(お金)を持っている人」ですね。「自分の価値 = 資本力(お金)」ですから、自分の価値が目減りしていることになります。
【あとがき】国民の力を総結集しても、彼らの論理に敵わなくなる日がやってくる
みのもんたさんや消費税の問題を見ると、ほんとに萎えてきます。
当たり前の話かもしれませんが、富が偏ってくると、富を持っている人の声が大きくなるんですよね・・・。
一億層中流階級と言われた昔の日本なら、そんなことは起こらないんです。
みのもんたさんや財務省の権力がいかに強かろうが、一億人以上の国民の富を結集すれば国民の力が強いんです。ですから、彼らのいい加減な論理がまかり通ることはありません。しかし、今後の日本は国民の富を結集しても彼らを抑えることが出来なくなる可能性があるのです。
今はそこまでひどい状況にはなっていませんが、アメリカや中東の国々は既にそうなっています。1%以下の国民が自分の都合で国を動かすのです。民主主義の形をとっていてもそうなります。それが格差社会の真に恐ろしいところです。だから先ほど似たような話をしたのですが、デフレの方がいいんですよ。彼らにとっては・・・。
一応自民党には期待していますが、他の国会議員を含め、大多数の自民党の議員や官僚は、デフレを克服する気はないでしょう。そのほうが自分の保有している資本の価値が高まるし、なにより大衆を操れるからです。
これは政治家や官僚だけの話ではなく、「資本を持っている人」全てに当てはまります。みのもんたさんの一件を見て確信しました。
その「流れ」に対抗するのはなかなか難しいのですが、私達一人ひとりが出来ることは、お金以外の価値をいくつか見つけることだと思います。その為には周りの人間との関係性を改めて見直してみることが必要ではないでしょうか?それが「金の切れ目が縁の切れ目にならない関係」を構築する秘訣だと思います。
みのさんなんかは「資本力」がなくなった途端に神田うのさんから罵倒されるでしょうが、(笑)そんな悲しい関係を作りたくないものです。
追記
うちの父は今のところ元気なので、(かつての私のように)看護師や医者の献身ぶりがどれだけありがたいものであり感動的なものであるか気づかないと思いますが、近いうちに気づくと思います。
その時にはじめて看護師さんの立場になって考えることが出来るので、多少待たされても昨日のように怒ることはないでしょう。(笑)
全然関係ない話と思うかもしれませんが、それが資本主義を暴走させないコツなんじゃないかと思うんですよね。それがずーっとこの記事で主張していることです。
利益を追求すると同時に、相手の立場になって考えてみる・・・。
後者は日本人の得意分野だと思うので、日本という国なら理想的な資本主義が実現出来る思っています。今の政府次第だと思います。なんか阿部さんはものすごい運に恵まれているので少しは期待していますが、やっぱり消費税上げるんでしょうね・・・。
診察の内容を書くのを忘れていたので今から書きますが、(笑)書こうと思ってみたものの、前回の診察で言われたこととほとんど同じ内容なので、ほとんど書くことがないんですよね。
- 検査の前日は安静にしておくこと
- 検査終了後に寒気がしたら、すぐに連絡すること
- 生検の結果は2週間後にしか分からないこと
- その後にPET検査を受けることになる
- 治療は(おそらく)ホルモン治療のみになる
あと、O先生に気になることを1つ質問してみました。
私:「ホルモン療法の効き目は、平均してどれくらいでしょうか?」
O先生:「だいたい1年半ですが、個人差が結構あります」
私:「あの~、どうやったらホルモン療法の効き目を延ばせることが出来るというか、そういうことは分かっているのでしょうか?」
O先生:「個人差があることしか現段階では分かっていませんね~。それが分かれば前立腺がんで死ぬ人がいなくなるということですから大発見になります」
ほとんど予想したとおりの答えでした。
ただ、3時間も待たされたおかげで(?)前立腺がんについてたくさん調べることが出来ました。特にホルモン療法をずっと続けていて未だ「再燃」が見られない人や、PSA値が安定し、ホルモン療法を止めることが出来た方々の闘病記をいくつか拝見し、「共通点」をいくつか抽出できました。
また、前立腺がんに効く食べ物も3つくらい見つけましたので、次回あたりの記事できっちりと整理して紹介したいと思います。いつも以上に低速ジューサーでジュースを作らなきゃいけなくなるでしょうが、それも楽しみながら頑張っていきたいと思います。
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コメント
本当にお辛かったですね。私も輸血により肝炎を発症して30年近くなります。針きゅう漢方食事で対処してます。あなた様の努力を真の神エホバは良くご存じで助を与えておられると感じました。自分の道もその人に属していないつまり自分の思うように不完全な人間は神の助けがないと生きられないそうです。私は聖書から忍耐と慰めと希望を得ています。お互い励まし合って一日頑張りましょう。あなたの経験談参考になりました。ありがとうございます。関心がありましたら、jw.orgのサイトから生と死その謎の答えを知ることができます。無理せずお体ご自愛下さい。仙台は涼しくなりました。生の物は体冷やしますよ。気を付けて