自己紹介

このブログの趣旨

こんにちは、「20代の大腸がん闘病記、幸せを考える」の管理人の新里です。

このブログは、私の闘病記録や、ガンという生活習慣病に対する私の考え方や取り組みを書いたり、本の書評を書いたりしています。

闘病記録

2010/03/18 内視鏡検査にて大腸がん発覚
2010/04/05 手術(無事、成功!)
2010/04/13 退院とともにステージの告知を受ける(リンパ節転移4個でステージはⅢb)2010/05/13 抗がん剤mFOLFOX6療法を実施、一回だけ行い、後は拒否

・・・

2012/03/05 CT検査異常なし
2012/03/30 内視鏡検査異常なし
現時点まで異常なし

何も変化がないのでこれ以上書きようがありません。

いや~何よりです^^

私の生い立ちとか略歴とか、これまで歩んできた道のり

簡単にではありますが、私の生い立ちを書いていきます。

本当は、あまり自分のことを書きたくはないのですが(苦笑)、皆さんが私の「人となり」を知っててくれたほうが、多少なりとも親近感が湧いたり、共感してくれたり、警戒心を解いて接してくれるのかなぁ~、という期待感を持って書こうと思います。

私は1980年(昭和55年)8月19日生まれ。O型、沖縄県出身、沖縄県在住です。

両親は2人とも40代で私を生みましたので高齢出産であり、非常に甘やかされて育った一人っ子であり、バカ息子であります。

ほんとにね、自他共に認める「大事に育てられた子供」でして、そうとう甘やかされて育ちました(笑)。

物心ついたときから今に至るまで不便を感じたことが一度もないんじゃないか?と思えるくらい、おもちゃは買ってもらえましたし、わがままを聞いてもらいました(これが一人っ子パワーなんですね)。

小・中・高と友達はそれなりにいて、よく10人くらい友達を家に呼んで、鬼ごっことかドロケーとかゲームとかをやって遊んでいました。

とにかく負けず嫌いで(今でもそうですが)、鬼ごっこだろうがジャンケンだろうが、負けるとすぐに泣きました(泣かなくなったのは小4くらいからかな 苦笑)。

体は病弱でアレルギー性鼻炎持ちです。

保育園から小学校3年まで、毎週アレルギー症状を抑える為に片道1時間はかかる遠い病院に通っていました(結局治りませんでしたが 苦笑)。

薬にも食べ物にもアレルギーがあります。

そう言えば小学校1年生のとき、薬物アレルギーで死にそうになったことがありました。
熱が出たのでバファリンを飲んだのですが、熱が引いた途端に息苦しくなり、目の周りがかゆくなってブツブツが出てきました・・・。

「これはただ事ではない」と思い、小学1年生ながらなんとか救急車を呼び、近くの病院に救急搬送されたこともあります。

後からお医者さんに「非ピリン系の薬は、君の場合飲んだらダメだよ」と言われました。

小学一年生なので、なんのことだが分かりませんでしたが、病院でも薬局でも、とりあえず「ひぴりんけい」って店員の人に言うようにしました。

私の薬嫌いはここから来ているのだと思います。

まぁ、そんなこんなで病弱だった私をみかねた両親は、私が小学校2年生になったときに、空手を習わせました。

考えてみると、習い事は一般家庭の子よりたくさんやっていたと思います。

保育園から11年間公文式に通っていましたし、公文の後は、高校入学まで他の塾に通っていましたし、そろばんも習っていました。

そろばんは1年くらいしかやっていなかったのですが、空手、そろばん、公文と、3つも習い事をやっていた時期がありました。我ながらすごいと思います。

病弱だった私ですが、そのおかげで中学に上がる頃には体力も力も同級生よりあったと思います。

あの当時、私は空手の大会でいろんな賞をとっていましたし、組手の相手はいつも高校生や大人が相手でしたから、当然かもしれません。軽く小突いただけで周りの子達を泣かせてましたからね(苦笑)。

ただ、スポーツ(特に球技)は苦手でした(苦笑)。

中学に入った時、あの名作漫画「スラムダンク」に影響されましてバスケ部に入りました。

あのマンガの影響でバスケを始めた人はたくさんいるでしょうが、私もその一人でした。
しかし、とにかく練習が厳しいのなんの・゚・(ノД`)・゚・

空手で鍛えていたとはいえ、少しぽっちゃり気味だった私ですので、練習が厳し過ぎてスリムになりました。

「身長180cmくらいにはなりたい!」って思っていたので、その頃から毎日牛乳を1.5リットル飲み、小魚をたくさん食べていました。

おかげで中1の頃は一気に15cm伸びましたが、その後の中2、中3では3cmしか伸びなかったです(笑)。 

結局、現在の身長は170cmもありません(苦笑)。

勉強のほうはと言えば、部活に力を入れていたので真剣にはしていませんでした。

しかし、保育園の頃から公文式やそろばん、そして高校受験まで塾に通っていましたので、それなりの基礎がありました。それほど勉強しなくても、成績は上位でした。

中間テストが近くなると、私の家に10人くらい集まって皆に勉強を教えていました。

っていうか、名ばかりの勉強会で(笑)ほとんど友達とくっちゃべってました。はい、もちろんヤローばっかりです。

で、中体連が終わった後からは本格的に受験勉強に取り組み、その頃はどんどん成績が上がるのが楽しくて、一気にトップクラスに躍り出ました。

公文やそろばんのおかげなのか知りませんが、私は小学校の頃から数学が得意でして、これは一つの自慢なんですが、小学校から高校卒業まで、数学のテストは一番悪くても96点でした。

いや、本当のことを言うと高校の時に85点というのが最低点なのですが、その時のテストの一番最後の問題が「数学の担当の先生の名前を書きなさい」という問題でして、

そこで漢字ミスがあり、それでなんと15点も引かれたんです・・・。(; ̄ー ̄A アセアセ・・・

いや、たしかに悪かったけれども、なにも15点引くこともなかろーに・・・。

未だに私はそうなんですけども、人の名前と顔を覚えられないんです。

記憶力は悪いほうではないと思うんですが、人の名前と顔だけは4~5回くらい会わないと一致しないんです。

社会人になってから、かなり苦労してます。(´・ω・`)

仕事の取引先はもちろん、女の子もたくさん怒らせましたね(苦笑)

昔の仕事仲間の毒舌野郎に、「お前は人間に興味がないんだよ。 (笑)」と、よく言われましたが、その通りかもしれないので何も言い返せなかったですね。(苦笑)

まぁ、人間に興味がないそんな私ですが、勉強はまあまあ出来たので、高校受験は1番の成績で合格しました。

入学式の新入生代表の挨拶は、成績1番の人がやるという話を聞いていましたので、それで自分が一番だったんだと分かりました。

その当時の私は本当に頭が冴えていました。今まで生きてきたなかで、あの時代が1番冴えていたと思います。

高校1年の時はほとんど勉強せずとも、中間・期末試験で100点ばっかり取っていましたが、1年から3年までずーーーーっと部活オンリーだったので、どんどん成績は落ちました(笑)。

成績がトップから陥落し、ただの成績上位の人、くらいまでに落ちぶれました。

まぁ、高校時代はとても楽しかったので後悔はないのですが、その代償は高くつきました。

ここからが私の「挫折」の始まりでした。

インターハイが終わって進路を決める時期が来た時に気づいたんですが、希望の進路がなかったのです。

やりたいことなんてなかったですし、大学生になったらまだしばらく遊べるかな~という薄っぺらい動機で大学進学を決めたんだと思います。

そこでなんと3回も失敗!

正直、自分は勉強が出来るほうだと思っていたのですが、浪人するにつれ勉強することが辛くなり、親や友達に会うのが恥ずかしくてどんどん根暗になっていきました。

一緒に浪人した高校生の友人は、どんどん大学に受かっていく・・・、

高校生時代は明らかに自分より成績が悪かったのに・・・、

あまりにも遊び過ぎてバカになったのだろうか?

だいぶ後になって分かったことですが、私がバカになったわけではなく、単に勉強が嫌いだったんです。

嫌なことを無理矢理意志の力で3年間もやっていました。 

勉強に集中出来るはずもなく、勉強中に他のことを考えていることもしばしば・・・。

中学校まで勉強がバツグンに出来た理由はたぶん単純なことで、「人に褒められることが好きだった」からだと思います(今でも大好きですけどね 笑)。

勉強でいい成績をとれば、親や先生が褒めてくれた、友達からも賞賛の声が上がった。

子供の時期って単純ですから、それだけでモチベーションが湧くんです。

でも、高校生ぐらいになると多少複雑になってきますよね。

「俺は周りから褒められる為に勉強をやっているわけじゃない。 そんなの窮屈だ。 それよりバカな友達とワイワイしたり、好きなバスケをやったほうが全然楽しいじゃないか」

「自分が本当にやりがいを感じているものをやる。」 私は今でもその考えが正しいと思っていますが、それでも高校生ですから自分の意志を貫き通すことが出来なかったのですね。

周りの人と同じように、自分の本当の気持ちを無視して大学進学を選んだわけです。

その3度の失敗により、私の心はズタボロになりました。

大学に行くことを諦め、何をやるにしても自信がなくなり、かつて仲良くしていた仲間達にも情けなくて合わせる顔がなく、自分から遠ざけるようになりました。

ずーっと家にいるのも罪悪感があるので、とりあえずバイトをしました。

マクドナルドで搬入作業の仕事をしました。

そこで新しい友達も出来てそれなりに楽しめましたが、20代そこそこでお酒も飲める年になり、血気盛んな年ですから変な遊びも覚え(笑)、給料が少ないにもかかわらず一週間くらいで使い切るような「今がよければいい」生活をしていました。

お金の使い方も分からないのに、ア○ムなんかで借金をしてしまい、利息を払うので精一杯な時期もありました。

いや~、そんな時が私にもありました(苦笑)

そうこうしているうちに、バイト中に腰を痛め、整形外科に入院することに(泣)

部活をしている時に痛めた腰を、さらに悪くしてしまったんです。

自分専用のコルセットを作るハメになりました(´・ω・`)

それからゆっくり腰を治す必要があったんですが、借金の返済もあったのですぐに働かなければならず、とりあえず給料が高いパチンコ屋で働く事にしました。

今はそうでもないのですが、遊技場の仕事は腰を痛める仕事の代表格のようなもので、腰を壊して退職する人が多いのです。

そこに入ってしまうとは・・・、その時は返済に追われていたので冷静ではなかったんでしょうね(苦笑)

軍隊みたいなところでかなりハードな仕事だったんですが、振り返ってみると、そこで仕事出来て本当に良かったと思います。

浪人時代の3年間、ほとんど人に会わずに勉強してきたので世間知らずになってしまってた私を叩き直してくれました。

あの時期の3年ってのは、かなり「差」がつくものです。
社会に出てからの3年ですからね。

人との出会いが最も多い時期であり、しかも世代を超えた人間関係を構築する時期であり、仕事を覚えるとても大変で楽しい時期です。

「人が最も成長する時期」の一つだと思います。

その時期に家に引きこもっていたわけですから(汗)彼らと圧倒的な「差」がついたのをそこで痛感しました。

同世代でバリバリ働く彼らに対して、全く太刀打ち出来ない私がいました。

学生時代であればおそらく小バカにしていたであろう彼らにたくさん叱られたり、アゴで使われたりしましたね(笑)

でも幸いなことに、私は素晴らしい両親に育てられましたから、苦境に対していじけることはありませんでした。

ただ一途に、一心に、同僚や上司から「仕事というもの」、「社会というもの」を学びました。

相変わらず仕事は出来ませんでしたが、ひたむきに頑張っていたので不器用ながらも私のことをそれなりに認めてくれていた感じがします。

その中で一人の上司にとてもよくしてもらいました。

私が成長することが出来たのは、その上司の指導が大きかったと思います。

上司から言われた言葉があります。

「お前は器用ではないが、ひたむきさがある。人を見る目がある。人を惹きつける魅力がある。それを部下の教育に活かしてみろ。」

(おいおい・・。人を避け続けている私に「人を惹きつける魅力がある」と?あなたの目は節穴ですか?)

と私は訝しく思っていました。

その時から私は新卒の人材育成を任されましたが、「絶対面倒な仕事を押し付けられた・゚・(ノД`)・゚・」と思っていたんですよね(実際そうなんですが・・・、 笑)

彼らは社会経験がゼロですし、礼儀やマナーをイチから教えないといけません。

基本的に遊技場の接客は「負けてご立腹になっているお客様」を相手にするものですから(笑)結構レベルが高いんです。

仕事もきついし、軍隊的なノリなので、中々ついていくのは厳しいでしょう・・・。

事実、遊技場の離職率はかなり高いです(ただ、給料がそれなりにあるので出戻りも多いのですが)。

そんな状況の中で、私が人材担当になろうが何も変わらないだろうと思っていましたし、どうすればいいかも分かりませんでしたから、とりあえず彼らの心を開かせようと、出来るだけ話を聞くようにし、話させるようにしました。

そして、常に彼らの味方をするように心掛けました。

大まかに言うとやったことはこれくらいでしたが、ある時店長に呼ばれて「お前のおかげで新卒がメキメキ伸びてきたし、これだけ辞めずに残っているのも初めてのことだ。よくやっている」と言ってもらいました。

その頃には私は正社員になっていましたが、社員では最高のA評価をもらいました。

店の売り上げも評価に関係するので、必ずしも個人の成果が反映されているわけではないのですが、素直にうれしかったのを覚えています。

それからグループ内の店舗を短期間で異動し(飛ばされ? 左遷され?)、そこで人材教育を任されました。

そこの教育が一段落つくと、次の店舗へ、という具合です。

かなり大きい会社でしたので、たくさんの人と一緒に仕事をすることが出来、様々なことを学べました。

副主任の役職までいきましたが、やはり腰の時限爆弾が限界を迎えていたようです・・・。

一生続けてもいいと思えるような仕事でしたが、体が持たないので退職することにしました。

それからしばらく経ってから、大腸がんになったのです。

そして現在に至ります。

私の性格とか行動の指針とか

平成22年3月18日に大腸がんが見つかり、はじめて「死」というものが現実味を帯びて実感することが出来ました。

これから何年も生きられないかもしれない・・・、
それとも無事にガンが完治し、末永く生きることが出来るかもしれない・・・、
はたまた何かの事故に巻き込まれて明日にでも死ぬかもしれない・・・、

退院してからしばらくは、そういうことを考えていたのを今でもはっきり覚えています。
自分はこれからどうすればいのか? どう考えて生きていけばいいのか?

色々考えましたが、1つの結論に達しました。

その頃から私の行動の指針は変わっていません。

言ってしまえば当たり前な事なのですが、

後悔しない人生

本当に当たり前なことなのだけど、たぶんこれについて深く考えることって、特に若いうちにはあまりないのかもしれない。

その意味で、そのような機会を与えてくれたガンに対しては感謝しています。

再発しようがしまいが、とにかく後悔だけはしないでおこう

そのように決めた私が次にどう考えたのかというと、

後悔しない人生とは?

ということでした。

それについて、私の現時点での結論は、

  • 「楽しい」とか「ワクワク」とか「幸せ」を感じている人生
  • 自分の持てる力を100%使っている状態の人生

なのだと思うんです。

ですので、

仕事をするにしても、
勉強するにしても、
遊ぶにしても、
だらだらと無駄な時間を過ごすにしても、

常に上記の2つの基準をもとに行動しています。

いつ死ぬか分からないので、自分がやりたいことだけを一生懸命やって過ごしています。

私は、努力と根性という言葉が嫌いです。

そういう言葉が出るとき、そんな状態のときというのは、
頭を使っていない・創意工夫をしていないだけなので、進歩や成長がありません。

本当に努力している人・根性がある人というのは、

当の本人には「努力している」という意識は全くありません。

ストレスフリーで淡々とこなしています。

たぶん、そういうものを見つけることが健康の秘訣だと思うし、
幸せの秘訣でもあると思うんですよね・・・。

自身のガンを治すためにも、そのような生き方を徹底しています。

そういう考え方をしている人間です。

努力と根性は日本の悪しき伝統
目次 自分の本当の感情に気づいていますか? マインドより大切なもの 「ビジネスマインド」という胡散臭さ ...

仕事・やりたいこと・目指していること

で、そのような生き方を徹底するためも、
仕事はアフィリエイトを選びました。

アフィリエイトのことをざっくり説明すると、自身が運営しているメディアに広告を貼ることによって、広告収入を得ることです。

つまりアフィリエイトを利用すれば、ガンを治すために私がやってきたことをインターネット上で発信することによって、収入を得ることが出来ます。

それは私にとって完全に「やりたいこと」でしたので、ぴったりな仕事でした。

ただ、ガンに対して勉強するにつれ、「治療に対する考え方」が変わってきました。

考え方が変わるにつれ、私の発信する内容と広告との間に整合性がとれなくなってきたので、広告を全て撤去し、読者からの純粋な支援だけで収入を得ることに切り替えました。
このブログを通じ、ガンやその他の生活習慣病で悩んでいる皆様のお役に立てたらいいなと思っています。

このページにも書いたことなのですが、

世の中には、厳然とした「医療格差」が存在し、それによって治療の選択肢が狭められている人々が大勢いらっしゃいます。

そして、今後はそのような人が増えていきます。

私が思うに、早くて10年以内、おそらくは20年から30年以内に悲惨な医療クライシスが起きると思います。

年金制度はまず持ちませんし、政治では(おそらく)解決策を見出せないでしょうし、少子高齢化は厳然として進んでいくので、社会保障費が指数関数的に増えていくからです。
私のやりたいこと・目指していることとは、「そのような社会問題を解決すること」です。

皆様からご支援頂いた資金によって、様々な有料情報や文献にあたることができ、皆様のお話を直接聞き、または食事や生活習慣のアドバイスをしながら、皆様とともに私も成長させて頂いています。

学んだことをこのブログで公開し、さらなる好循環が起こることで、ムーブメントを起こせればなと思っています。

そして最終的に「医療格差」が解消される・・・。

そんな「夢物語」を思い描きながら、(このブログを含めた)活動をしています。

・・・。この活動は、結構大変です。

読者へのメールの返信だけでも1日の大半を費やしてしまいますし、1日中論文を読んだり書籍を読んだりして過ごしています。

そのうえで、ガンの再発防止のために食生活やウォーキングや筋トレも行っていますので、時間に余裕がないのですが、

やりたいことをやってて余裕がないのですから、ストレスはありません。

たぶん、これが「ストレスの本質」です。

労働時間の大小が問題なのではなく、

・それが本当にやりたいことなのか、それともやりたくないことなのか、
・それをやってて不快感を感じるのか、感じないのか、

が重要なのではないでしょうか?

会社員を辞めて10年以上経ちますが、その頃と比べて今のほうが数倍働いています。
たしかに体に疲労は感じますが、我慢している感覚はありませんし、努力と根性を出しているわけでもありません。

このブログを通じて知り合った皆さんのお役に立てているという実感があるので、
もっとやりたくなるのです・・・。

体には良いストレスと悪いストレスがあるのですが、このような意味でのストレスであれば、どんなにブラック労働をしても病気にはなりにくいでしょう。再発もしないでしょう。

それを証明するためにも、このような活動を続けています。

趣味

読書・ビリヤード・釣り・DVD&映画鑑賞・筋トレですかね。

私は寒いのが苦手なので、釣りはあったかい時にしか行きません。

本は週に最低でも2~3冊は読みますし、DVDとか映画鑑賞も月に10本くらいは見ていると思います。

好きなジャンルとかはありません。

オールジャンル満遍なく見ていると思いますが、ホラー系は少し苦手です(笑)

ビリヤードは週に1~2回は行ってると思いますが、なかなか上達しません(汗)

筋トレは、再発予防も兼ねて軽めのものを毎日行っています。

あとウォーキングやストレッチもしています。

ストレッチは高校の時からずーっと続けていますので体はかなり柔らかいほうだと思います。

股割りは普通に出来ます。

学生の時、部活の先輩に「ヨガ」って言われていました(笑)

現在やっていること、これからのこと

大腸がんの再発の80%は3年以内に起こるらしいので、基本3年間は体にストレスをかけず、ゆったりと、またーりと過ごしていこうと考えています。

このブログを通じて情報発信をしていきたいと考えています。

【2015/12/15更新】結果的に大腸がんを完治できました。

3年過ぎて「再発なし」で自分の健康法生活スタイルに確信が持ててきたら、単にブログだけに留まらず、自分がガンになった経験を活かした仕事をしたいと思っています。

まだ具体的には決まっていませんが、ガン患者のコミュニティーを作ったり、公演やセミナー活動を行ったり、本を出すことが夢です。

おそらく今の医療業界のアプローチでは、医療費が増えるだけで「ガンでは死なない時代」は永遠に来ないと思います。

私は「私なりのガンに対するアプローチの仕方」が正しいと思っているし、それを世界の主流にするべく、同じ志を持つ仲間と共に活動していきたいと思っています。

一途に、一心に、心と体と知識を磨きつつ、私の理想へ向かって淡々と歩き続けるのみです。

最後に、私の座右の銘を書いて、長過ぎる自己紹介(笑)を終えたいと思います。

出典ですか? (だいたいは)私です。

座右の銘

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