本当に強い人は、「特徴」がない

待合室の様子

前回の更新からどれくらい空いたのか知りませんが(汗)久しぶりの更新です。

若くして大腸がんを患い、その貴重な体験を公開することで、同じ悩みを持つ人の参考になればいいなと思って、闘病ブログを書いてきましたが、はやくも挫折しかかっています(笑)

術後から半年が経ちましたが、時間が空いた分、言いたいこと・感じたことが少し溜まってきました。特に私自身の病気に対する考え方・接し方が変わってきたので、長くなりますが、そのことについて書きたいと思います。

今日のお題です

CT検査の結果

少し前にCT検査を受けたのですが、結果は、

再発の兆候なしでした^^

自分なりにガンのことを勉強し実践してきたことに、少しずつ自信が出てきました。

しかしながらまだ半年なので、油断せずに精進していきたいと思います。

大腸がん手術後の後遺症

以前と比べて、少し食べ過ぎたり飲み過ぎたりすると、すぐに消化不良を起こしたり便秘や下痢を起こしやすくなりましたね。

がんを治す為に大きな手術をしたんですから、これくらいは仕方ないと思います。食事に注意しさえすればいいですから・・・。

色々と調べてみると、私の後遺症なんかまだ軽いほうらしく、人によっては、切り取った部分の位置関係が原因なのか、小便や大便が全く我慢できなくなってしまい、家にいる時でも出かけるときでも、常にオムツを装着していないと、トイレに着くまでに漏らしてしまうとか、そこまでひどくなくても、腸の水分吸収機能が極端に弱まってしまい、下痢便どころか水便しか出なくなって、やはり漏らしやすくなってしまったとか、下痢に関する排便障害を抱えている方が多いようです。

下痢系ならまだいいのですが、便秘系のほうが怖いようです。普通に考えると、腸が手術により短くなってしまった分、スムーズに便が通過しやすくなっていそうなものですが、開腹手術でお腹を開けたことにより、普通空気に触れることのない大腸が、空気に触れてしまい、お腹を閉じた時にお腹の壁にくっついてしまうそうです。これを「癒着」といいます。

大腸は便を肛門まで運ぶ為に、自らクネクネ動いて便を移動させますが、お腹の壁に癒着していたら、腸が十分に動くことが出来ませんから、便がうまく運ばれず、便秘気味になります。癒着の程度がひどいと、腸が捩れてしまったり、(腸捻転)腸管の隙間が狭くなってしまう可能性が高くなるので、便が全く通過できなくなり、「腸閉塞」になってしまうこともあるそうです。

先輩方の闘病記を見ていると、「ガンの進行度」とか、「切り取った大腸の長さ」とかにあまり関係なく、お腹を空けた人ならば、老若男女誰でも起きているように見えます。それだけに怖い・・・。(; ̄ー ̄A アセアセ

前の記事でも書いたと思うのですが、腸閉塞が起きると、ひどい場合は急激に症状が悪化して人に助けを呼ぶ暇もなく気を失うらしいですから、時と場所が悪ければ死んでしまう可能性もあると思います。

しかも、緊急手術が必要らしく、そうじゃなくても鼻から管を通して詰まっている便を少しずつ取り出していくらしい。(^^; それがまた本当に痛いらしいです。ですので、私のような人達は、便秘には相当気をつけなければいけません。

下痢系の排便障害なら、時間をかければゆっくり回復してくるそうなので、しばらく我慢しとけばいいのですが、便秘系の排便障害は、腸機能の低下というよりは癒着によって「便の腸の通過が困難になっている」状況なので、おそらく治らないと思います。

「治らない」と言うのは、「便の腸の通過が困難になっている状況が治らない」という意味であって、腸閉塞が防げないという意味ではありません。「腸閉塞(イレウス)の予防法」については、別に記事を設けて、そこで詳しく書くつもりですので、読んでいただけたら幸いです。m(_ _)m 

腸閉塞(イレウス)の予防法
開腹手術をした方は、大なり小なり「腸閉塞(イレウス)」の恐怖に怯えているのでは?と思います。 私はまだ経験したことはありま...

ちなみに、上記で紹介している「腸閉塞(イレウス)の予防法」を私は毎日実践していますが、そのおかげなのか知りませんが、術後1度も腸閉塞になったことはありません。

ですから、腸閉塞で悩まされている方にはとても参考になると思います。

【追記:2013年5月26日】

闘病ブログを書き続けることについて

冒頭で、「ブログ、はやくも挫折しかかっています。(^^;」みたいなことを言いましたが、実は最近、「ブログを書かないほうがいいのかなぁ、(´・ω・`)」なんて思ったりもしています。というのも、闘病記ブログを書くことで、病気が頭から離れなくなるからです。

「俺、本当にガンなの?闘病中の身なの?」って疑うくらい元気なんですが、病気が病気なだけに不安になってしまうことがよくあります。

先輩方の闘病記を読んでいても、(抗がん剤治療中の方を除いて)元気な方が多いんですよね。私や他人の事例を見てると、

「がんって、よほど進行して末期状態のとき以外はそんなに痛くないし、苦しくない病気なんじゃないのか?」

と、思うんですよね。

「だったら、再発予防の治療などやる事やったら、あとはのほほんと暮らしていたほうがいいんじゃないか?どうせ再発するときは再発するんだから、悩んでも無駄。悩むなら再発したときに悩もう。」

と、思うんですよね。まぁそんなふうに簡単に割り切れたら苦労しないのですが・・・。(笑)

でも考えてみると、そのように割り切るのを阻害しているのが「ブログを書くこと」のような気もするんですよね。ブログを書く度に、それまで忘れ去っていた病気のことを思い出してしまって不安になるんです。

「それって不健康なことじゃないか?」と、「むしろ、ブログなんかやらないほうがいいんじゃないか?」と、考えることもあります。たぶん最近読んだ本が影響しているかもしれません。

それは「新訂・快癒力―イメージが病気を治す」という本です。簡単に内容を要約しますと、医師である著者は難病が治るケースは3通りしかないと言っています。その3通りとは、

  • 病気を諦めた人
  • 病気を忘れた人
  • 人の為に尽くした人

です。なるほどなぁ~、と思いました。皆さんもなんとなく分かる気がしませんか?

「学生の時、風邪気味で体調が悪いんだけど、学校で友達と遊んでいるうちに気がついたら治っていた」なーんて経験は、皆さんにもあると思います。逆に、無理がたたって体調が悪化した。みたいな経験もあると思いますがね。(苦笑)

私は上の2つは「病気(または、健康)に執着しない人」でまとめられると思います。

健康になろう!病気を治そう!と気負い過ぎるのはダメ。著者の篠原さんは、本の中でこのように語っています。

病気にとらわれ、病気を気にしていては、いつまでたっても病気は治りません。またそれと同じように、たえず健康を気にして、病気にならないように健康食品を試したり、食事に気を使い過ぎているような人は、残念ながら病気になるのです。

健康な人は普段の食事を滋養だ、栄養だなどと思って食べてはいません。ただ単純に「食べたい」「おいしい」で食べているのです。それでいいのです。

病気を気にしない、健康を気にしない - これが人生を楽しく生きるコツです。

~ (中略) ~

あるとき、いままで私の医院に通っていたリウマチの患者さんで、しばらくおみえにならない人がいました。そして、久しぶりにみえられたとき、かなり病気がよくなっていたのです。

「どうしたのですか、久しぶりですね」と聞いてみると、「とにかく忙しくって・・・。実は主人が病気で倒れたので、その世話をつきっきりでやっていたんです」との返事。つまり、その患者さんは、ご主人の病気の為に自分の病気を忘れてしまったから、快方に向かったのです。

孫が生まれたため、うれしくって、その世話に夢中になって病院へ来るのを忘れた人もいます。そういう人は、たいてい私がびっくりするほどよくなっているのです。これこそ、「快癒」でなくてなんでしょう。

人それぞれ、みんなが「快癒力」をもっているのです。それを上手に活用するかどうかがポイントなのです。

(出典:篠原桂年『新訂・快癒力―イメージが病気を治す』サンマーク出版、1996.6.20発行、まえがきより引用)

「気」についての私の考察

本のなかで篠原さんは、「気」とか「生命エネルギー」という言葉をよく使います。
「気」という概念は西洋医学にはないので、あまり信憑性がないというか、非科学的な話ではありますが、私は、「気」というのは神経伝達物質のようなものじゃないか?と考えています。

そう考えれば、篠原さんの話は決して非科学的な話ではなく、「体に良い作用を及ぼす神経伝達物質を分泌させれば健康的にもなるし、様々な能力が活性化される」と言ってることと同じです。そしてそれは、科学的にも実証されていることです。

ただ、「体の中で合成された神経伝達物質を、体外に飛ばして相手に影響を及ぼす」なんてことは少し考えにくいので、「気を飛ばす」とか「相手に触れて病気を治す」って話はちょっと信じられないですね。(苦笑)

でも、もしかしたら科学が追いついていないだけかもしれません。「神経伝達物質は、電波のような性質がある」ことが、後で実証されるかもしれません。そうなれば、テレパシーや霊的な現象も、単なるオカルトで片付けられなくなります。

妄想がかきたてられる話ですが、(笑)確実なことは「神経伝達物質は体内で合成され、体内に影響を及ぼすのであって、体外から離れて他の物体に物理的な影響を及ぼすことはない」ことです。これ以上話が飛躍していくと、もはやオカルトの領域であり、トンデモ科学の領域になるので注意が必要だと思います。

「気」の大小ではなく、「バランス」が大事

ただ、篠原さんの話で「これは大事な視点だな」と思ったことがもう一つあります。それは「気のバランス」です。

これは上で書いた「健康や病気に執着し過ぎない」という話にも関係してきますし、仏教で言う「足ることを知る」という話に近いものがあります。というか、篠原さんの考え方が、仏教やハイデガーという哲学者のそれにかなり近いので、たぶん彼らの思想に造詣が深いのでは?という感じを受けます。

生命エネルギーで特に注目する必要があるのは、エネルギーの総量よりもバランスのほうがはるかに大切だという点です。

気流測定器で測ると、私の気は10くらいの値しか出ないときがあります。これは一般には死ぬ前の人と同じくらい低いのですが、低いからといって一概には悪いとは限らないのです・エネルギー配分と効率がよければ問題はないのです。

呼吸でも、ハァハァと呼吸回数の多いのはよくない。脈拍も速いのはよくない。禅などの修業では呼吸回数をできるだけ少なくしようとします。人間が自分の能力を十分に発揮できるのは、脈拍が低く安定しているときです。

こういうことから考えると、気の測定値が低くても困らないのです。気功をやっている人などは平均値が非常に高いのですが、バランスの良い人が多い。気功を使える人は、自分のエネルギーを他人に放射して病気を治したりもできる。そういう人はバランスも最高によくなっているのです。このことは、エネルギー配分と気を外に放射することが深く関係していることをあらわしているのです。

では、気のバランスをとるにはどうすればよいのか?それは病気になった人が治っていく過程から逆算して知ることができます。私の経験によれば、難病が治るケースは次の3つしかありません。

第一に「病気をあきらめた人」、第二に「病気を忘れた人」、第三に「人の為に尽くした人」です。結論から言えば、病気にエネルギーを使わなくなってしまった人達なのです。

多くのリウマチ患者さんを診ていて「この人は絶対に治らないだろうな」と思われる人がいました。症状も悪ければ検査結果も最悪。そのうえ、治りたい気持ちが人一倍強く、来るたびに「治せ、治せ」と鬼のような形相でせがむ。難病だけに医師としてこんな辛いことはありません。正直言って、会うのが辛かったのです。その患者さんがしばらく来ないと思っていたら、久しぶりにやってきました。

彼女の顔を一目見て私は驚きました。顔つきがまるで変わっているのです。穏やかで明るくて笑みさえ浮かべています。

「元気そうじゃないですか、どうしたんです?」

すると彼女はこういったのです。

「先生、もうあきらめちゃった」

検査をしてみると炎症の程度をあらわすCRPの値が、6(+)というリウマチで最高の数値だったのがマイナスになっている。「治りたい、治りたい」と、それだけを願ってもあれだけ治らなかった人が、あきらめたら逆に治ってしまったのです。

ある人は相当症状が悪いはずなのに通ってこなくなった。久しぶりに来たので事情を聞いてみると、孫は生まれたそうで「その世話で忙しくて忙しくて、病院に行くのなんか忘れてしまった」というのです。薬もずっと飲んでいないといいます。この人も検査してみると、劇的に快方へ向かっていました。

また、自分の病気をそっちのけで、人の為に尽くすことで、快癒を果たした人もいます。詳しくは本章に譲りますが、ともかく病気はどんな難病も「あきらめる」「忘れる」「人のために尽くす」の三つを徹底すると、不思議なほどによい結果を生じさせる。この三つに共通するのは一体なんなのでしょうか?病気をつくるエネルギーを他のものに転換したのです。

その結果、自分の気持ちが楽になって世の中が素敵に見えてきて、毎日わくわく生きられるようになったのではないでしょうか。すっかり明るくなった患者さんを見ていて、私は思うようになりました。このような患者さんの気を測定してみると、失われていたバランスが見事に回復しているのです。

もうひとつ、気を測定していてバランスのとれる心理状態があります。それはプラス思考の状態です。物事をなんでも前向きに良いほうへと捉える。こういう思考態度をもつ人も気のバランスがとれています。

ただ、難病にかぎらず病気の人は、なかなかプラス思考ができないものです。そういう人達は「あきらめる」「忘れる」「人のために尽くす」の三つのどれかを実行されたらよいと思います。何故かと言えば、治った人は皆そうなのですから。実行すれば全てが必ず良い方向に向かっていくのです。

(出典:篠原桂年『新訂・快癒力―イメージが病気を治す』サンマーク出版、1996.6.20発行、30頁~33頁より引用)

篠原さんは、「気の総量」が多ければ多いほどいい、というわけではなく、「気のバランス」が大事だと主張されています。

私は「気」というものは「神経伝達物質のようなもの」と考えているので、その前提で話を進めますと、神経伝達物質の分泌をコントロールしているのは「自律神経」ですから、「自律神経のバランスをとれば、気のバランスもとれることになる」と考えられます。

自律神経は、交感神経と副交感神経の正反対の働きをする神経から成り立っています。どちらかの神経が優位になるかは、「その時の精神状態(感情)」によって決まりますから、「感情のコントロールがいかに大事か」ということが分かると思います。

ウサインボルトと私の間には、大した「差」はない

「精神状態の改善」が一番大切

私はガンや健康について、勉強すればするほど確信が深まっていることがあるんですが、それは、

体質の改善において重要なのは、「食事の改善」よりも「精神状態の改善」である。

と、いうことです。

というのも、「精神状態」というのは、他のどんな要素よりも、24時間四六時中体に影響を与え続けています。生きている限り、その活動が終わることはありません。寝てる時だって「夢をみている」精神活動をしていますし、夢をみないような深い眠り(ノンレム睡眠)をしている時だって、「何も考えていない」という精神活動をしていると言えます。

楽しい夢をみたら、起きた時に「楽しい」とか「うれしい」という余韻が残っています。反対に、怖い夢をみたときは、鼓動も速くなっていますし、呼吸も浅く、汗をびっしょりかいていることもあります。

たかが夢ですよ。実際には起きていない「ウソ」のことなんですが、「ウソ」か「本当か」はあまり関係がなく、それをどう捉えているかが重要であり、その捉え方次第では物理的に体に影響を与えてしまうのです。

では、「食事」はどうでしょうか?食事が体に与える影響は決して小さくはありませんが、どんなに大食いの人でも永遠に食べ続けることは出来ません。

人間の消化能力には限界がありますから、その限界に応じて、自ずと「食事が体に与える影響度」は決まってきます。つまり、「食生活の改善」には限界があるのです。

しかし、人間の精神活動には限界がありません。少なくとも現時点では、限界と思しき領域まで到達した人間はいませんし、限界の領域があるのかどうかも分かりません。

私のように、文章を書くのがめっちゃ遅い人もいれば、講演活動もこなしながら一ヶ月に2~3冊の本を出版するツワモノもいます。それでいて内容は深い・・・。「本当に同じ人間か?(´・ω・`)」と思うくらい、精神的知的レベルの差がついちゃってます。(汗)

つまり、「肉体レベルの差」なんてものはたかが知れてるのです。「術後の回復能力が早い」とか「免疫力が強い」とか「足が速い」とか、そういう体力的な差は人間の間ではほとんどありません。(※「精神的知的レベルの差と比べて」の話です。)

ウサイン・ボルトは100メートル9秒台で走りますが、私と彼がそんなに差があるとは思えません。私が余裕を持って20秒くらいで走るのとそんなに変わりますかね?(笑)そして、今後人類がどんなに頑張っても、全身義体でもしない限り3秒台は出せないでしょう。

9秒台と3秒台、両者には凄まじい差がありますが、精神的知的活動においては、それくらいの差はゴロゴロあります。2000年以上も人々に影響を与え続ける大宗教家もいれば、数人さえも影響を与えることができない人もいます。

(本当かどうかは知りませんが)本を1分で3冊読むことが出来る人もいれば、私のように、本一冊読むのに1週間以上もかかる人もいます。(´;ω;`) それくらい人と人の間には「精神的知的レベルの差」はありますし、未だ限界がみえません。

もっと言えば、肉体的強さは、精神活動に相当影響を受けています。消化能力も「交感神経と副交感神経のどちらが優位に立っているか?」にかなり影響されます。

もし常に交感神経優位な状態だと、いくら食事を改善しても「消化不良」を起こしてしまい、プラスには働きません。プラスどころか、未消化物がいつまでも体内に留まり、腐敗して「毒物」を発生させるので、むしろマイナスに作用します。

つまり、「どのような精神状態で過ごすかで、体の中で【薬】が作られるか【毒物】が作られるかが決まる」のです。精神状態をコントロールすることが重要か?それとも食生活の改善のほうが重要か?答えは一目瞭然でしょう。

また、「精神」と「肉体」は、双方向に影響を与えます。
つまり、「健全な魂は健全な肉体に宿る」という言葉があるように、肉体の健康状態を整えることによって、精神状態も改善されていきます。ですので、ガンを克服する為には肉体面と精神面の両方からアプローチすることが大事なのです。

ただ、現在のがん治療をみていると、三大療法と食事や適度な運動にばかり目がいっていると思うのです。「標準治療以外に、食事や運動も頑張っている」というだけでかなり優秀だと思うのですが、三大療法も含め、それらの効果を最大限に発揮する為には、まず「土台(適切な精神状態)」をしっかり固めないといけない。

この本を読んだおかげで、それに気づくことが出来ました。現在健康を害している方のみならず、健常者にも病気を未然に防ぐという意味で、読むべき本だと思います。

人生のあらゆる場面で関係してくる「気のバランス」

「適切な精神状態」とは篠原さん的に言うと、「気のバランスがとれた状態」であり、西洋医学的に言うと「交感神経と副交感神経のバランスが取れた状態」だと思います。もっと分かりやすく言うと、「熱しすぎず、冷めすぎず」でしょうか。

熱しすぎず、冷めすぎず

私の好きなマンガのスラムダンクで似たようなシーンがありました。
スラムダンクが分からない人のことを無視して書きますが(笑)山王工業戦前に赤木キャプテンが発した言葉、「悪いが皆さんの期待通りにはならん( ̄ー ̄)ニヤリッ」それに対して、安西監督が発した言葉が印象的です。

試合前の恐怖心は誰にでもあるもの。それから逃げずに受けとめ、そして乗り越えた時に初めて理想の精神状態にたどりつける

そして、試合中の場面でこうも言っています。

熱しすぎず冷めすぎず・・・。こういう時、いいプレイはできるものだ。

つまり、圧倒的な強さを誇る山王工業を前にしたら、精神状態が乱されてしまって実力が発揮出来ません。試合前にもう決着はついてしまっているのです。

私は相撲を見るのが好きなんですが、長い間日本人力士が優勝していない現状をみると、そのように思うことがあります。

稀勢の里関なんかは白鵬に匹敵する実力を持っていると思いますし、これまで何回も優勝するチャンスがあったにも関わらず、あと一歩のところで優勝を逃しているのは、「熱しすぎず、冷めすぎず」が出来ていないからだと思うんです。

どうやったら「熱しすぎず、冷めすぎず」の状態になれるか?

稀勢の里関に足りないのは、肉体的な強さではなくその部分だと思うので、稽古と並行して精神状態をコントロールする術(すべ)を習得していくべきだと思います。

つまり、何を言いたいのかというと、「熱しすぎず、冷めすぎず」という状態は、単に「健康になれますよ」という話ではなく、「勝負に勝つ秘訣」であり、「人生に勝利する秘訣」でもあるのです。

私は読書が好きなのですが、一時期「勝負師」の本にはまっていました。「勝つ」のではなく「勝ち続ける」ことが義務付けられている勝負師。勝ち続けないとプロではないし、食べていくことが出来ない厳しい世界で生き続けている方々です。

それぞれの勝負の世界で「伝説」となっている方々の本を読み漁っていました。400戦以上無敗の格闘家ヒクソン・グレイシーさん、20年間無敗の雀師桜井章一さん、史上初7冠達成を成し遂げた棋士羽生善治さん、そして変わったところではプロゲーマー梅原大吾さんの本などですね。

そういう方々の本を読んでみると、言ってることが見事に一致しているのです。そして興味深いことに、篠原さんと同じことを言っています。それは、

「勝ち」に執着し過ぎない

「勝ち」にこだわると、たとえ勝ったとしても「勝ち続ける」ことは出来ない。何事も執着することは、自分の世界観・勝負観・勝負勘を向上することには貢献しない。結果として成長しないし、精神的にも悪いので、いずれ「負け続ける」ときがくる。

それよりも、「過程」を重視すべきである。勝負に勝つかではなく、勝負に「美」が宿っているか、自分が日々成長している実感があるかを重視すべきである。

これを篠原さん的に言い直すと、

「健康」に執着し過ぎない

「健康」にこだわると、気のエネルギーのバランスが乱れて残念ながら病気になってしまう。悲壮感にまみれながら健康食品を摂り続けることは精神的にも悪いので、本来の薬の作用・健康食品の作用が半減してしまう。

それよりも、「精神状態」を重視すべきである。「治りたい」ではなく、いかにその気持ちを抑えつつ、「幸せ」を感じることが出来るか、どのような「精神状態」で日々を生きているかを重視すべきである。


「熱しすぎず、冷めすぎず」は、言い換えれば「執着しない」ということであり、既成概念で物事を捉えることをせず、その視点(既成概念)も含めて「様々な角度から物事を捉える態度」につながると思います。

私は「ガン治療で確立されている既成概念(標準治療)だけでは、うまくいかない」と思っているので、「様々な角度から物事を捉える」ということを意識して日々を生きています。

確かに抗がん剤治療は進歩していますが、その枠組みのなかでは「9秒台が8秒台になる」だけであり、末期がんの方でも9割以上が治る治療成績を上げることは想像できません。

その意味で「快癒力」を書いた篠原さんの意見は、治療の既成概念に異を唱えるものです。ガン治療のように「既成概念どおりにやってもうまくいかないケース」があれば、その既成概念から離れたことをやってみるのも一つの手だと思うのです。

本当に強い人は、「特徴」がない

本当に凄い人は、「よく分からない強さ」がある

将棋の羽生善治さんも、本のなかで「あえて、定跡(既成概念)と外れた手を指すこともある」「『定跡がいつでも正しい』とは思わないほうがいい」というような趣旨を述べています。本当にその通りだと思います。全員が定跡どおりの手ばっかり指していたら、実力の差がなくなり、その時の「運」でしか勝敗が決まらなくなる状況が生まれます。

「勝ち続ける人」は、その環境から抜け出す為に、苦しみながらも新しい環境を創り出そうとします。やがて、その新しい環境がどんどん軌道修正を重ねていった結果、誰も侵すことの出来ない「絶対領域」になります。相手とは違う次元で戦っているので「勝ち続ける」ことが出来るのです。

しかしながら、上記の4人のような伝説的な勝負師は、「絶対領域なんてものはなく、【期間限定の絶対領域】があるだけである」ということをよく理解しています。

いずれ、自分が築きあげてきたものが通用しなくなる時が来る。

だから常に新しいものを作り続けなければならない。新しいものを吸収し続けなければいけない。常識を疑い続けなければいけない・・・。

本当に凄い人・強い人というのは、常に変化し続けますから「型」がありません。「特徴」とか「得手」「不得手」がないのです。よく分からない存在である分、攻略するのが難しいのです。

その意味で私達が参考にするべき人物は、結果を出し続けていて、それでいて「型がない人」「特徴がない人」です。「よく分からないが、なぜか強い人」も、研究対象になると思います。そういう人を見つけたら、どんなにあなたと専門分野がかけ離れていようが、(むしろ、かけ離れているからこそ)必ず何かしらの「学び」が得られます。

ガンという慢性疾患は、5000年も前からその存在が確認されています。にもかかわらず、未だ人類がこの病気を克服できていないというのは、ガンにおける既成概念を疑ってみることを怠ってきたからではないでしょうか?私はその時期にきていると思います。

このブログの運営は、皆様の「支援」によって成り立っています。

ご支援のお願い
私が目指しているもの

コメント

  1. K Tamtam より:

    同病の者として、興味深く読ませていただきました。私は術後、まだ4ヶ月たっていません。後遺症にも悩んでいますし、先月の血液検査で腫瘍マーカーの数値が高く、今度の木曜に再度血液検査をすることになっています。正直、不安でいっぱいです。でも、あなたのおっしゃつていること、考え方、とても理解できました。前向きに考えて、また血液検査に臨みます。

    • s___shin より:

       K Tamtam様、コメントありがとうございます。

      私の記事が、前向きに考えるきっかけになったようでうれしです^^

      ある医者は、病気が治る人は、「病気を忘れた人」である。とおっしゃっています。

      本当にその通りだと思います。

      なかなか難しい事かもしれませんが、なるべく頭の中からガンのことは忘れて、それでも油断はせずに、食事や運動、睡眠に関して手を抜かないように私も気をつけています。

      お互いガンであることは忘れて、「今」を一生懸命生きましょう^^

      新里

トップへ戻る