私の大腸がんが発覚した年、父は最後の大きな仕事を成し遂げました。
「男には2つの大きな仕事がある。1つは家族を守ること。もう1つは墓を守ることだ」
これはお坊さんに聞いた話です。
新里家は、ご先祖の代からずっとお墓がなかったのですが、父が5年前にやっとお墓を建ててくれました。
父はお金に困っていましたから、そんな無理して作る必要はないのに・・・。と思っていたのですが、私に余計な仕事を残したくなかったのだと思います。立派なお墓を建ててくれました。
お墓から眺められる景色です。
四十九日のとき、朝から墓詣りをしてきた時に撮った写真です。
本当にいい眺めです・・・。こんなに良い場所にお墓を作るなんて、お父さん、本当に頑張ったな。。。
救急で運ばれたのが2月3日、亡くなったのが2月23日ですから、あっという間に逝ってしまいました。
ただ、頭は最期までしっかりしていましたので、入院中は父が横たわるベッドを私と母で挟みながら、昔話をたくさんしました。
私がはじめて知る話もありました。
私が生まれる前の話、父と母が出会った頃の話、父が子供の頃の話。。。
どうやら相当貧乏だったようですね。
いつも飢えと戦っていたようです。
父は若い頃タクシー運転手だったのですが、運転技術が上手いのを見込まれて、軍の消防隊にスカウトされたようです。すごい出世ぶりですね(^^)
「大きな梯子が付いている消防車を運転していたんだ」と、よく自慢していました。
もう何回も聞いた話なのですが、(笑)私も母も、今初めて聞いたように聞いていました。
こんなにじっくりと話したのは本当に久しぶりだったし、お互いの目をじっくりと見るなんてことは、たぶん初めてだったんじゃないかと思います。
最期のほうは、私を見つけるたびに手を握って「ありがとうね」と泣くものですから、私もつられてよく泣きました。
父が泣くのを見るのは、生まれて初めてでした。母も見たことないと言っていました。
20日間、朝から晩までずっと病院でしたが、大変であったと同時に「人のぬくもり」や「つながり」の大切さを学ぶことができました。
たくさんの人に支えられたおかげで、最期まで父を看病することが出来ました。
本当にありがとうございました。
支えられてばかりの私ですが、もっともっと精進し、少しでも「人を支える側」にまわれたらと思います。とりあえず、母を全力で支えたいと思います。
残念ながら父を救うことはできませんでしたが、母は必ず治してみせます。
そのために出来ることは、なんでもやってみようと思ってます。
母を治すこと、そしてガンという病気と闘うことが、私の生き甲斐になりつつあります。
そろそろ、歩き始めます。
新里
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コメント
新里さんこんにちわ
関東は晴れたりふったり曇ったり忙しい天気です。
私は新里さんよりものすごーく年上ですけど心の中はまだ十代(笑)
いやはや幼いのなんの、たぶん老齢になっても変わりませんよ
新里さんはまだまだ青年の年齢層なのに、すごくしっかりしてますね
お兄さんと呼びたいくらいです。
ブログを改めて読んで、新里さんが5年目をむかえて志新たに歩き出そうと
しているのが心からよかったと思えます。
しあわせになってほしいと思える人がいて自分は嬉しい
ブログは更新しないのですか
新里さんが元気で生活してる様子なども拝見したいです。
るき様、コメントありがとうございます。
基本的に更新したくなったら更新するっていうスタイルですね。
このブログで私の日常を綴ることは滅多にないですね。
毎日ダラダラと好き勝手に過ごしてますので、あまり書くことがないです。(笑)
最近はこうやって皆さんとコメント欄で会話するのが楽しいですね。
ただ、今は私と皆さんの1対1の会話じゃないですか。
じゃなくて、皆さん同士が会話してるところを横目でじーっと盗み聞きしたいですね(笑)
なので、コメント欄もいいですが、掲示板を設置してみるのも面白いかもしれないなーと考えている今日この頃です。ただ、やり方は分からないですけど(笑)
新里