【結論】誠実さはどちら側にある?

以上のことを踏まえ、BLOGOSの記事や(悪意のある)論説内容と、id:appleflowerさんが書かれた記事を比較してみると、id:Mochimasaさんが言われるように、

私は曲解がないという意味でBLOGOSの記事に分があると考えています

とは、どうしても思えません。
しかも、BLOGOSの記事がズルいと感じるのは、タイトルで「サプリメントは効果なし」と言っておきながら、記事の下の方では「論文で述べているのはビタミンやミネラルの効果のみで、健康食品のすべてに当てはまるわけではありません」と書いているところです。

あのタイトルを見れば、ほとんどの人が「全てのサプリメントは・・・。」と解釈するでしょう。しかし、記事の中ではビタミンとミネラルのことについて論じられていて、サプリメントの部分集合であるはずのビタミンやミネラルが、いつのまにか「集合」扱いにされちゃってます。

そしてどこからともなく「健康食品」という単語が顔を出し、文章の結論では「サプリメント」と「健康食品」の立場が入れ替わっていることに気づきませんでしょうか?ほとんどのマスコミがやってることですが、こういう小賢しい印象操作をやってるんですよ、この記事は・・・。

それほどの悪意は感じませんが、サプリメントと健康食品の定義を曖昧にさせたまま、「読者を惑わせよう」という意図がある可能性だってあるのです。(もちろんブロガーが、意識せず言葉を軽々しく使っている可能性もあります)

さて、誠実さはどちら側にあるのでしょうか?

  • 1次ソース(3つの論文)は、サプリメントが効果的である証拠はないと言いつつ、自分達の研究には弱点や限界があることを、論文内できちんと認めている。(※私は「何も言っていない」と考えています)
  • 2次ソース(論説)は1次ソースの不備に一切言及せず、「もう十分だ」と感情論をぶちあげ、「これ以上の大規模な臨床研究のは、もはやする必要はない」などと勝ち逃げみたいなことをしている。悪意がプンプンする。(※勝ち逃げにすらなってなく、実際はだまし討ちのようなものだが)
  • 3次ソース(BLOGOSの記事)は、2次ソースの要約と小ざかしい印象操作がある。
  • 4次ソース(id:Mochimasaさんの記事)は、1次ソースにあたっているが、若干言い過ぎな部分がある。

こうやって時系列で並べれば、どちらに分があるのかはおのずと分かると思います。
もちろん「お前の記事のほうが印象操作が激しいじゃねーか!」という苦情は受け付けておりません。(笑)

ということで、相変わらず文章構成が下手過ぎて、自分の文章を読み返すと多少絶望してしまうのですが、(苦笑)「あの3つの論文は何も言っていない」ことと、「BLOGOSの記事のほうに曲解が激しい」理由は、上記の通りです。

そして文章を読む限り、id:appleflowerさんは、必ずしもサプリメントの有効性を擁護しているわけではありません。(id:Mochimasaさんはそのように考えておられるようです。そのような記述があります。)もし擁護しているのなら、下記の文章と整合性がとれません。

わが国ではいかがわしい健康食品が多く、国の規制も不十分で、「医療」の枠を薬と手術だけに押し止めたい医療保険制度の桎梏があります。そのためサプリメントは相変わらず軽視され続けており、それを叩くのも抵抗感がないのでしょう。この記事を鵜呑みにしてリツイートした多くの人も、同じ空気の中にいるのでしょう。

わが国のこの状況が容易に変わるとは思えませんが、偏見でいいものへの目が曇ってしまうとすれば、いかにももったいない話だなあと思えてなりません。

引用:「サプリメントは効果なし」記事の不勉強

ついこの前、私もサプリメントを批判した記事を書きましたが、id:appleflowerさんもおそらく私と同じように「まがい物」を批判しているのです。そして、「まがい物」が増える原因は、医薬品はある程度信頼性がある臨床試験を行うのに、サプリメントは行わない、もしくは米国のようにきちんとした法整備がなされていないからです。

私は「敢えて行わないんじゃないか?」という気さえしています。

何故そう思うのか?
例えば3つ目のメタ解析論文にしても、あそこで取り上げられている26の試験は、

  • 「どのサプリメントを使ったのか?」が明確ではない。
  • 「質の良いサプリメント」であることを保証する記述が見当たらない。
  • 「質がよい」の定義もまちまち。
  • 処方した摂取量が、論文によってまちまち。

などなど、穴だらけもいいところです。穴だらけのやつを集めて解析したって、穴だらけの結果にしかなりません。

しかも、統計学者には常識らしいのですが、メタアナリシスは「実施する人の信条によって、結果が異なる」ことで有名らしいです。「メタアナリシスの、メタアナリシスが必要だ」と揶揄されているくらいだと、近藤誠先生の本には、そう書かれていました。

そんなこと言ったら何も信じられなくなってしまいますが、(笑)「完全に正しいこと」なんてこの世には存在しないのです。だからこの記事でも書いたように「答えは自分で創り上げる」しかありません。

天邪鬼になる必要はありませんが、「答えはAである」みたいな、何故だか分からないけど「妙に断定してくる意見」に出会ったら、とりあえず疑ってかかるのは正しい態度であるという気が、最近しています。

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