何故こんなに生きにくいのか?

現代社会が生きにくい理由

こんにちは、前回の記事の続きです。

これからの時代を生き延びるヒント
目次 「その業界で一番になれ」という考えに対する疑問 当たり前だったことが、当たり前では...

前回の記事では2012年以後の世界を生きるにあたって、

  • 一つの事だけやってればよいとか、
  • 一つの会社(一つの収入源)に勤めていればそれで安泰だとか、
  • 一つの分野・業種・世界で「専門家」と言われるスキルさえ身につければ、とりあえず食っていくには支障ないだろう

という考えでは、「生きにくい時代」になってきた、と言いました。

その理由を、病院ランキングの登場によって患者の偏りが起こったことを例にとり、「一番」と「2番以降」の格差に大きく差がつくからだと説明しました。

しかし、たとえNO1の専門家でも、「環境の変化」や「価値観の変化」が起こると途端に淘汰される運命にある、

しかもインターネットの発達、さらにツイッター・フェイスブックというソーシャルメディアの登場により、

今までとは比べ物にならない速さでそれらが劇的に変化する現代の世界では、NO1の技術を持っていることは(この世界を生き抜くという意味で)あまり価値がないのではないか?(あくまで私の考えであり、これが正解というわけではないです) という話をしました。

つまり、一つの分野に固執するのではなく、複数の分野を中途半端のレベルでもいいので身につけておくほうが「環境の変化」に対応しやすいので、そっちのほうをオススメします、と提案しました。

成功例として、就職氷河期と言われる昨今、中途採用はおろか新卒でも半分くらいは採用されない昨今の状況の中、40代にもかかわらず多数の企業から採用され続けている知り合いのことも話しました。

そのような人間のことを「総合商社型人間」と私は定義付けていますが、このことは「お金を稼ぐ為には、いろんなスキルを身につけたほうがいいよ~ (^ー^)」という狭い話ではなく、

「幸せに生きる」為にも必要な視点であり「生き方」である。

という話もしました。

つまり、

「自分が幸福と感じるものをたくさん増やせ」ということであり、「幸福の多角化」を目指す

という事です。

「ひとつの幸せ」だけに固執することは、変化の早い時代においては危険です。

その幸せがなくなると途端に不幸を感じてしまう・・・

そんなモロい幸せは、本当の幸せではないですよね。

  • 公務員なので給料は安定しているから幸せ
  • 子供の成長が幸せ
  • ネットにつながっているだけで幸せ
  • アニメを見るのが幸せ
  • 仕事が終わった後のビールがうまい! あぁ幸せ

どうするの?

途端に無気力になるのでしょうか?

それとも攻撃的になるのでしょうか?

自分を守る為にも、幸福の拠り所をいくつも用意しておくことが大事なんだ、と言いました。

これを読んでもあまり重要性を感じない人もいると思うので、ちょっと真剣に「怖さ」を感じてもらう為にも、ある統計結果の話をします。

これはアメリカのデータですが、それによると「リタイヤ(引退)した人は、平均で18ヶ月しか生きられない」という統計結果があります。

日本でも定年退職という概念がなくなりつつありますが、アメリカでリタイヤといえば、目標の金を稼いだとか、人生の目的を果たしたとか、そういった契機でリタイアすることを指します。

アメリカでは30代でリタイヤしてフロリダやカリフォルニア辺りで悠々自適な生活をしている人もかなりいて、マイアミなどはまさにそういった人達の町として知られていますが、

そういった人達がその後2年も生きられないというのは、金があり過ぎて暴飲暴食で運動もろくにせず、健康を乱してしまったという事実もあるかもしれませんが、大きな理由は「幸福の拠り所(趣味や仕事)を失ってしまった」からだと思います。

環境の変化が早い時代ですから、「幸福の拠り所」というのはいくつも持っている必要があります。

つまり、「一つの幸せだけあればよい」という考えの持ち主は、これからの時代は2年も生きられない可能性が高いのです。

もちろん極論と言ってもいいレベルですが(笑)、大きく外してはいないと私は考えています。

グローバル化の時代は、「今までより生きにくい時代」になってきますから、「環境の変化」に対応する人間を目指していかなければいけないのでは? という「問題提起」を前回の記事で書かせて頂きました。

「で、なんで生きにくくなる時代になるの?」

という話を、今回はもう少し詳しく説明したいと思います。

私の考える「グローバル化」とは

先に、私が考える「グローバル化とは?」について述べたいと思いますが、世間一般に使われている意味、経済学者などが使う意味とは「厳密には意味が違う」ということをあらかじめ言っておきます。

厳密な意味を調べたければ、ウィキペディアなんかをご覧いただければすぐに分かるのですが、

それだと現実に即した形で(グローバル化の意味を)「知識」として活用出来ないと思いますし、学者でもない限り「グローバリゼーション」とか「グローバル化」という概念の定義を正確に理解している必要はないのかなぁ、と思います。

私なりにグローバル化の意味を、もっと危なっかしい形で説明すると、

グローバル化とは、「変化」が物凄いスピードで地球規模で広がり、均一化されていく動き(現象)である

と、考えています。

イメージ的には、例えばアマゾンの奥地で起こった出来事や変化などが、すぐに日本にも伝わったり、逆に日本で起こった出来事がすぐにアマゾンの奥地に影響を及ぼす。 そのような現象です。

最近ではタイの洪水が起こり、現地に工場を置いている日系企業に大きな被害を与えました。

私は去年の12月の始め頃にパソコンを買い換えようと思って(もうCPUやボードが限界を超えつつありました 汗)近くのパソコン専門店に行きましたが、

HDDがタイの洪水の影響で品薄になっていて、棚に「一人1台までの購入とさせて頂きます」」と張り紙が張られていました。

洪水はタイで起こったのですが、それによる被害は日本も被ったのです。

リーマンショックもアメリカで起こったのですが、世界中に被害をもたらしましたよね。

今度はヨーロッパ発の危機が、世界中に被害をもたらそうとしています。

その逆も然りで、中国の好景気が世界の供給を支えたこともあります。

一つの技術革新が一つの地域だけに利便をもたらすのではなく、世界中の地域に利便をもたらすようになりました。

つまり、「部分的な変化や刺激」が物凄いスピードで全体に波及し、その後「均一化」していくような現象です。

一般的に言われているグローバリゼーションの正しい定義では、各国の「経済間の連携」が密になった結果、様々な変化&影響が地球規模で広がるようになった、というニュアンスを含んでいますが、私が思うに「経済間の連携」のみが原因ではなく、それを含んだあらゆるものが密につながり合ってるからだと思います。

「あらゆるもの」を具体的にいくつも挙げようと思えば挙げれるのですが、より抽象度のレベルを上げて解説するならば、

地球上のあらゆる「多様な価値観」がぶつかりあい、時には融合&進化し、時には片方の「価値観」が、もう一方の「価値観」を駆逐していく現象なんだと思います。

その結果、均一化の方向に向かうのではないか? と思うので、「均一化」という言葉を私の考えるグローバリゼーションの定義に用いました。

以上が、私の考えるグローバリゼーションです。

融合&進化の例として、分かりやすいのが「料理」です。

納豆カレー

カレー専門店のCoCo壱番屋が出している「納豆カレー」なんかいい例でしょう。

インドの文化と日本の文化が「融合・進化」した結果です。

好き嫌いは人によって様々ですが、私の知っている外国人で「納豆が嫌いデ~ス!(´Д`)」と言ってるやつがいるのですが、CoCo壱の納豆カレーなら普通に食べられました。

そのうち納豆の良さが分かり、納豆を普通に食べられるようになりました。

「価値観が融合したり進化する」ということは、伝統文化が時間を経て少しずつ変わっていくことと似ています。

「最適化される」と言い換えてもいいと思います。

生き残っていく為に必要な事です。

「価値観」の生き残りをかけた「激動の時代」の始まり

(進化することが良いことなのかどうかの議論はさておき)時代の要請に合わなかったり、人類の進化にとって合わなかった価値観は、少しずつ変わっていくとか融合とか進化したりせずに、消去されることもありますが、

そのような時って過去の歴史を見れば分かるように「激動の時代」なんですね。

「カオスの時代」であり「戦争の時代」でもあります。

私は、2012年がそんな時代が始まる幕開けだと考えていますので、「生きにくい時代」の始まりであると思っています。

その片鱗は、世界のニュースを見れば既にあちこちで表れています。

世界を見渡せば、なかなか混ざり合いそうにもない「価値観達」がいくつもあります。

グローバル化を推し進めている張本人たちが「自分達の信じている価値観」を世界中に押しつけて、あちこちで戦争をしています。

それは明らかに自分達の支配力を脅かすような価値観を認めていません(ま、当たり前かもしれませんが)。

圧倒的なパワー(軍事力や経済力など)で他の価値観(社会体制や思想・宗教など)を押しつぶしています。

資本主義と社会主義の対立や、キリスト教とイスラム教の対立など、それぞれの側がそれぞれの体制が優れていると主張しあって争っているのが今の世界の状況です。

今の世界の状況を見ると、どうも「お互いの思想・文化を認め、互いに尊重しあいましょうね」という方向に進んでいるのではなく、一方を潰すまで終わらない方向に進んでいる感じがします。

宗教の対立や政治体制の対立などは「なかなか混ざり合わない類の価値観」ですが、「変化しないものはない」とはよく言ったもので、宗教や政治体制さえも最適化されたり、融合されたり、あるいは消去・淘汰されたりする運命にあります。

変化しないものはありません。

生物も鉱物も思想さえも必ず変化していきます。

上でも書いたように、生き残る為に必要な事なのです。

「いやいや、何千年も宗教の違いで喧嘩しているのに、変化とか、融合とか最適化されるとか、そんなことはあり得ない!

女の恨みなんか一生消えないんだよ! ・゚・(ノД`)・゚・」

まあ、言っていることはごもっともなんですが(笑)

それでもね、お互いに影響を受けあったり、いろんな宗派が現れては消えたりなどの内輪もめなどもありますし、確実に変化していっています。

要は、変化に要する時間が長いか短いかの違いだけであって、確実に変化は起こりますし、起こっています。

そして、その変化のスピードを爆発的に進化させるのが、何度も言っている「グローバル化」なのです。

もしかしたら私が生きている間に三大宗教の構図が変わるかもしれません(かなり言い過ぎの感がありますが 汗)。

それくらいグローバル化がもたらすインパクトは大きいと思います。

たぶん、かつて人類が経験したことのない世界でしょう。

過去にどんな文明があったのか私はよく知りませんけども、

ムー文明とか、アトランティス文明とか、マヤ文明とか、シュメール文明とか、メソポタミア文明とか、エジプト文明とか、インダス文明とか、黄河文明とか・・・

人類がかつて築いてきた文明の中でも、ここまでグローバル化が進んだ文明はかつてなかったんじゃないか? と思うんです。

「いや、グローバル化が行き着くところまでいっちゃったから
古代文明は滅んだんだよ」

と言う人もいますが、もしかしたらそうなのかもしれないし、私にはよく分かりません。

生きにくい理由:進化のスピードが速い

「物凄いスピード」というのがポイントです。

技術や伝統や知識、噂などが伝達していく、っていうのはグローバル化とか関係なく当たり前の現象で、いつの時代でも(石器時代だろうが)起こっていたことです。

おばあちゃん(姑)が伝統のタレを嫁に伝授したり、とかですね。

でも、伝統のタレを教えてもらうのには時間がかかるわけです。

まず姑と嫁の仲が良くないといけないので(笑)嫁は色々な戦略を考えないといけません。

・姑の趣味や好きな事を調べて共通の話題を見つけたり、
・子供を道具にして一緒に遊んだり、
・尊敬している素振りを見せたり、

とにかく色々な面倒くさいことをしなければならないわけです。

それでなくても姑は既にボケかかっていることも多いので(笑)誰かにものを教えることが出来なくなっている可能性もあるわけです。

しかし、ノートに書いてあるなら(紙や印刷物の発達)うるさい姑が死んでいようがタレを作ることが出来るし(笑)、ブログ(インターネットの発達)をやっているようなハイテクな姑であれば、ブログの記事をチェックすればタレのレシピが見つかるかもしれません。

姑直伝の伝統のタレどころか、「世界のお袋の味、データベース」みたいなサイトにアクセスすれば世界中の伝統料理を作ることも可能だし、「姑が今まで生きてきて獲得してきた料理の知識を短時間で上回ることが出来る」のです。

「たかだか20数年しか生きていない嫁の知識が、60を超えた人間の知識を上回る」という現象は、人類の歴史上起こらなかったんじゃないか?と私は思うのですが、今はそういうことが可能になった時代なんです。

コップに透明な水が入っています。

その水に泥を入れると泥の粒子が全体に広がり、ある程度の時間が経つと水は透明ではありませんが色は均一化して平衡を保ちます。

しかし、今の時代は水に泥を入れた瞬間にガラス棒で勢いよくかき混ぜるようなもので、要するに「色が均一化するまでに至る時間」が圧倒的に早いのです。

それくらい「昔の時代」「グローバル化を迎えた時代」では、「変化が起こっていくスピード」が全く違います。

これはインターネットの発達と関係があります。

インターネットの発達によって、今までと比べて「情報の移動するスピード」が爆発的に伸びました。

その結果、「変化の起こるスピード(進化のスピード)」も爆発的に伸びたのです。

このことから、「情報の移動するスピード」と「変化の起こるスピード」は比例関係にあるといえます。

人類の歴史をさかのぼってみると、「情報の移動するスピード」を加速させたものは、インターネット以外にもたくさんありました。

例えば、

  • 言葉や文字の発明によって、他者とのコミュニケーションがとれるようになりました
  • 印刷機の発明によって新聞や本が発明され、知識(情報)の移動するスピードが速くなりました
  • 郵便制度の発明によって、より遠方の人とも会話が出来るようになりました。
  • 船や飛行機の発明によって、人や物流の移動スピードが速くなりました
  • 電話の発明によって、知識(情報)の移動するスピードがさらに速くなりました
  • インターネットの発明によって、知識(情報)の移動するスピードが爆発的に速くなりました
  • 携帯の発明によって・・・。
  • ツイッターやフェイスブックによって・・・。

物流技術や通信技術の発達とは、情報の移動の発達そのものであることが分かると思います(※ここでいう情報とは、「人・モノ・金・情報」を含む大きな概念を表します)。

そして、「人・モノ・金・情報」の移動が爆発的に早くなると、それに比例して人類のテクノロジーの進歩も爆発的に伸びるのは、歴史を振り返ってみても明らかです。

何故イギリスで産業革命が起こったかという疑問に対して、専門家の間でいまだに議論されているようですが、私の考えでは、当時世界で一番国際貿易を展開していたのがイギリスだったからだと思います。

貿易が盛んな地域のほうが商売をしやすいので、優秀な商売人や技術者がヨーロッパ中から集まってきました。

それに伴い「職も豊富にあるから」ということで労働者もたくさん集まってきました(中には「奴隷」として強制的に・・・、なので「負」の部分もあります)。

優秀な人が集まってコミュニケーションが深まれば、「より良いもの」が生まれやすくなります。

つまり、「進歩が早くなる」のです。

現在の物流技術や通信技術の発達は産業革命の時の比ではありませんから、新しいものが次から次へと登場してきます。

ビデオテープからDVDが登場するまではわりと時間がかかったのに、DVDからHDD(ハードディスク)やBD(ブルーレイディスク)の登場まではそんなに時間がかかりませんでした。

テレビはどんどん新しいものが登場し、数年前に購入したテレビが現在では半額になってることもざらにあります。

携帯の機能はどんどん複雑化、さらにスマートフォンやipadと・・・

ついていけない人は大変ですよね(^^;

「進歩するスピードが速い」

これが大多数の人々が「生きにくい」と感じる原因の一つだと思います。

これは周りの変化が早すぎてついていけずに頭が混乱するという意味ももちろんありますが、それ以外にも「進化するスピードが速い」ということは「競争が激しい」ということになります。

これからの時代は競争から振り落とされる人が続出することになるでしょう。

つまり、今以上にリストラが加速することになります。

競争から脱落した人は、以前と比べてほとんどのケースで「低賃金」を強いられますから生きていく上でのあらゆる選択肢(仕事の選択肢も含めて)が狭まることになります。

昔の日本のような「一億層中流社会」と呼ばれるものはとっくになくなっているのは、この文章を読んでくれている皆さんも同意してくれると思いますが、

これからの時代は「中流階級」と呼ばれるものが地球規模でなくなっていくと思います。

つまり、「金持ち」か「貧乏」かのどちらかになり、その差がどんどん開いていくようになるでしょう。

これが社会保障が充実しているのであればまだいいのですが、新聞やテレビを見れば分かるように、日本の社会保障もいよいよどうしようもないところまできています。

現在の日本の社会保障のモデルは、発展途上の国が急成長していく段階(つまり高度成長期)でこそ成立するモデルです。

バブルの頃なんかは何をしても儲かる時代でしたから、いくら保障を厚くしても国も企業も痛くもかゆくもありませんでした。

しかし、その制度のまま日本は成熟社会を向かえてしまいました。

成熟社会の国の場合、自由が多い国のほうがより成長することが経済学的にも分かっています。

で、制度設計を改めないまま「年金は永遠に不滅です! 100年安心ですよ~(*^▽^*)」なんて誤魔化して、いろんな痛み止めを打ちながら無理矢理制度を維持し続けたのが今の日本なんですね。

発展途上国の制度を維持し続けている日本

こういう風に思っている若者は、私だけではないはずです。

競争が激しくなることによってついていけなくなった人が「生きにくさ」を感じるのは、上のほうで説明しました。 しかしさらに・・・

数十年前に成熟社会に突入していたにも関わらず、ひたすら自分の老後の心配をし、未来の世代の為の投資を怠り、来るべき未来に備えて制度改革を進めなかった結果、さらに「生きにくさ」が増したのです。

だから二重で「生きにくさ」を感じるし、やる気がなくなるんです。

日本人が漫然と感じている「生きにくさ」「あきらめ感」「普通がいい」という感覚などは、日本の制度設計にも一因があると思っています。

成熟社会に適した未来の世代の為の制度作りを進めることで、少しは「生きにくさ」を軽くすることは出来ますが、それに期待するのはやめたほうがいいというのが個人的な意見です。

日本は民主主義社会です。

ということは多数決で物事が決まります。

日本人は高齢者が圧倒的に多いし、金を持っている人も、権力を持っている人も、ほとんどが高齢者です。

であるならば、高齢者が住みやすい現在の社会制度を(消費税や社会保障費の財源を増やす等して)さらに進めることはしても、若者に有利な制度設計を進めるようなことはしないだろうな、と思うからです。

消費税増税なんか特に典型的で、今の政権与党は「未来にツケを残さない(`・ω・´)キリッ」とか言っていますが、増税した消費税の使い道はほとんど社会保障費に企てられます。

「社会保障をきちっと整備すれば、未来の世代の為になるんじゃないの?(´・ω・`)」

と思われるかもしれませんが、持続可能な社会保障を実現する為の財源は、消費税を10%~20%くらいでは足りなくて、欧米並みの25%~30%くらいにしないといけない、という試算があります。

野田佳彦首相は消費税増税に政治生命を賭けるとまで宣言し、増税へ向けて突き進む。財政再建が実現できるというのがその理由だ。しかし、果たしてそうなのだろうか。

ですので、本気で未来の世代のことを考えるのであれば、国民がどんなに反対しようが、政権から滑り落ちようが、消費税25%~30%増税の法案を通せばよいのです。

でもしない、出来ない。

何故なら選挙に落ちるし、まず国民が耐えられないでしょう。

ですので、消費税増税で社会保障費をなんとかしようとするのが、そもそも間違いなのです。

「じゃあどうしたらいいんだ?」 という話ですが、日本の人口構造が大きく変わるので、現行の制度を維持することは現実的に無理だと思います。

ですので根本的に社会保障制度を作り変えるしか方法がないんだと思いますが、これは非常に難しい問題ですね。

この記事は日本の制度の問題点を語るのがテーマではないので、この辺で終わりにしたいと思いますが、

とにかく、日本においては外国の人達よりも「生きにくさ」を感じていること、そしてその原因は「競争の激化」に加えて「制度疲労」が浮き彫りになってきているのではないでしょうか?

ズルズルと制度を維持し続けてしまったのは、未来の世代の事を考えず、ひたすら自分の老後や利権を守る為に(分かっちゃいるけど)目をそむけ続けてきた私達大人が悪いのです。

政治家や官僚のみの責任ではありません。

もちろん彼らの罪は重いけれども、日本は国民主権ですから主権者たる私達が行動を起こせばなにかを変えられたはずです。

国民主権とは、「国民に責任がある」ということです。

なのにそれを忘れて報道番組や新聞等を見る度に、私たちはこのように考えがちです。

  • 今の政治家はどうしようもないな・・・
  • 今度の首相は1年持つかな・・・
  • やれやれ、またバカな発言しとるわ・・・
  • 責任をとれ!
  • どの党が政権とっても同じだよ・・・

まぁ正直今の報道番組は、政治家が「バカ」にみえるように作られているので無理もありませんが(実際そういう面もありますが 苦笑)、あーゆう番組を見続けると何が悪いのかというと、

悪いのは何もかも政治家のせい、つまり「自分以外のなにか」のせいだと錯覚しかねないのです。

中国のような一党独裁ならいざ知らず、日本のような民主主義の国の政治レベルは、モロに国民の知性や道徳のレベルを反映します。

政治家は国民のレベルを映し出す鏡ですから、あのような番組を見て、まるで他人事のように政治家をバカにし、官僚を敵視するのは、本当はおかしいのです。

彼らに今の日本の体たらくの責任を全て押し付け、「自分の疑いは晴れた」「みんなあいつらが悪いんだ!」みたいな安直な気分にさせてくれる「副作用の強い痛み止めのような番組」を見るのは有害ですので極力見ないほうがいいでしょう。

ある日本の学者は言いました。

少子化に悩む先進国は「生きにくい」

ドイツ金融界のすごい偉い人が、少子化に悩む先進国を見て、こう言いました。

これから生まれてくる子供達「生きにくい」

私はこれらの意見に、少なからずの共感を覚えます。

おそらく、私だけではなく、

「今の社会は最高だよ、何一つ変えるところがないよ(´∀`)」

と言う人は皆無ではないでしょうか?

いるとしたら、臭いものに蓋をしているだけの人か、嗅覚疲労で臭いものが分からなくなった人でしょう。

日本だけで見てみても、震災を経験し、長引く不況があり、自殺者は3万人を切りません。

「これが最高」なはずはないのです。

ですから、未来の世代の為には、少しでも良くなった日本を残してやることこそが、私達の役割なわけです。

これは、お子様がいる人は当然として、それ以外の人でも何となくは感じていることのはずです。

そのためには、広い意味での「進化・成長」が大切になります。

それは個人レベルでもそうですし、日本という国レベルでもそうです。

今は総合的に右肩下がりなのだから、それを何とか右肩上がりにして次の世代に渡したい・・・

進化した日本を次の世代に伝えたい・・・

つまり、

「私達がよりよい社会を作れば、未来にはより良い社会が残る」

という至極当たり前のことであって、この点において、現代世代と未来の世代の利害は一致していると思います。

あえて単純化して言えば、

「今」をよくすれば、結果的に「未来」も良くなるわけです(「今だけ」よくすれば…、ではありません。 一応念のため)。

ですから、辛い「今」、生きにくい「今」を変えなければなりません。

その為には、「変化」を恐れてはいけません。

政治家や官僚ではなく(もちろん彼らも含めて)、私達一人ひとりの意識改革が必要なのです。

で? 結局グローバル化っていいものなの?それとも悪いものなの?

とまあ、私の考える「グローバリゼーション」について、ざっくりと書いてきました。

つまり、

グローバル化とは変化が劇的に早くなり、様々な価値観が「均一化」の方向に向かうということであり、その過程で必ず競争の激化&争いが起こるので「生きにくい時代」になる。

ということになります。

まぁ、ざっくりと言えるほど簡潔に書いていないですし、こんなに長くなっちゃってますが(笑)

で、グローバル化とは日本にとっていいものなのか?

もっと言うと世界にとって、人間にとって、地球(環境)にとっていいものなのかどうか?

について、私の意見を述べたいと思います。

まず、結論を言ってしまうと、「その人(その国)次第で、その人(その国)にとって良くも悪くもなる」です(誰でも言える「必ず正解になる結論」ですみませんが 汗)。

何故なら、

「変化の圧力に耐えられる人間」にとって、グローバル化は恩恵をもたらす現象ですが、「変化の圧力に耐えられない人間」にとっては、グローバル化は生きにくい世界をもたらす現象だからです。

とても乱暴に言ってしまうと、「新しい新商品が登場したときに、すんなりついていける人は恩恵を受けるが、ついていけない人は生き残れない」ということです。

携帯電話さえ存分に機能を使いこなせていないのに、スマートフォンなんか登場しちゃったりすると、使いこなせる人と使いこなせない人の「差」がさらに広がることになります。

「何が問題なの? 別に電話やメールの使い方だけ知ってればいいじゃん ┐(´∀`)┌ヤレヤレ」

という方もいますが、使いこなせている人は、こなせていない人と比べて「出来ること」が多いし、そのことにより「選択肢の幅」も広がるわけです。

例えば東日本大震災の時に、携帯を使いこなせている人は、友達や家族に連絡を取ること以外にもニュース速報サイトなどにアクセスし、震源地はどこか?被害状況、津波の有無などをすぐに確認出来ます。

震災が起きた直後、(違法かどうかはさておき)誰かがNHKの放送をユーストリームで中継していました。

そのおかげでテレビが身近になく、携帯しか手元にない人でも地震の最新情報を知ることが出来ました。

また、携帯でツイッターのつぶやきを見ることで、被災地の状況をニュースよりもリアルに知ることが出来ました。

こういう情報収集は携帯のような端末を持っていないともちろん出来ないし、頭の中に「携帯で出来ること」「ユーストリームが提供しているサービスの特徴」「ツイッターの特徴」をよく理解していないと出来ないことです。

つまり、こういう「端末機器」や「新しく登場したサービス」を使いこなすことが出来るか出来ないかで、あのような災害に見舞われた時に「生死の差」を分ける可能性だってあるのです。

今の時代、新しい端末機器(スマートフォン)・新しいサービス(ツイッターやフェイスブック等)がめまぐるしく登場しては消えていきます。

変化があまりにも早いので、「ついていける人」と「ついていけない人」の格差がどんどん広がっていきます。

別に全ての変化に対してついていく必要はありませんが、世界の全ての変化に背を向けるのは、「変化がもたらす圧力」に屈したということであり、「自分の可能性や選択肢」を狭めてしまうことになります。

また、「絶対に逃げられない類の変化」もあります。

背を向けたり目を背けることは勝手ですが、そんなことをしていると遅かれ早かれ淘汰される運命になる類の変化です。

一昨年、私は大腸がんを患いました。

私にとってどーしようもない変化であり、逃げることが許されない変化でした。

しかし私はその変化を受け止め、それがもたらす圧力に屈せず、「自分の可能性や選択肢」を狭めるようなことはしませんでした。

現実に打ちひしがれ、担当医に治療を丸投げするようなことはせず、ひたすら「自分の可能性と選択肢」を広める為に勉強し、自ら積極的に治療に関わりました。

定期検査の時に担当医を質問攻めにしたり、たくさん怒らせたり困らせたりしました(笑)

変化の圧力に負けない為、そしてその変化をてこにし、「進化」する為に、出来ることは全て試してきました。

そうした取り組みを続けて、自分なりの再発防止の為の生活習慣を続けていますが、「それが絶対に正しい」というつもりは毛頭ありません。

ありませんが、

変化の圧力に対して「一歩もひかないぞ!」という意志

これが非常に大事な事だというのは、よく理解しているつもりです

そのような意志を内に秘めている人こそ、いつどんな時代でも生き残っていく可能性が高いのではないでしょうか?

その意味で、「その人(その国)次第」なんです。

グローバリゼーションは止められない

ところで、東日本大震災は私達にとって「絶対逃げられない類の変化」でしたが、グローバリゼーションはどうでしょうか? この流れは止められるのでしょうか?

私は「止められない」と思います。

グローバル化の流れは必然であり、「絶対逃げられない類の変化」だと考えています。

何故ならこの流れは人間(というか、生物)の宿命だからです。

人間も生物である以上、必ず進化(合理化)しますし、「進化したい! 楽になりたい!」と欲します(必ずしも良い方向に進むという意味ではありません、人間はどこまで賢くなっても、所詮「非合理的な生き物」だからです。)。

進化(合理化)とは上でも説明しましたように、「人・モノ・金・情報」の移動と非常に関係があります。

つまり、通信技術や物流技術が発達すればするほど、必然的にグローバリゼーションも進むことになります。

だから、グローバリゼーションは止められないのです。

今、先頭にたってグローバリゼーションを推し進めているのは欧米とアメリカですが、もし彼らの計画が戦争や経済的な諸問題により頓挫したとしても(実際、頓挫しかかっていますが)、また次の覇権国がグローバリゼーションを推し進めようとするでしょう。

分かりやすく言うと、「領土を広げる行為」です。

頓挫したらしたで、しばらくの間は1929年の世界恐慌後にみられたようなブロック経済が出来るかもしれませんが、その後必ず貿易を拡大するような動きが出てくると思います。

TPPについての所感

そんなこんなでグローバル化が進んできた結果、今話題になっているのがTPPです。

TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)はテレビでも話題になっているようですから皆さんよく知っておられると思いますが、

ここまで長ったらしい記事を読んできた皆さんなら、TPPは農業や工業の問題でもないし、サービスや投資の問題でもないことが分かると思います。

単なる「自由化」の問題ではありませんし、「国と国の生存競争」の問題でもありません。

もちろんそれらを含んでいるのですが、その先にもっと大きな「絵」を描いていると私は考えています。

それは「地域統合」です。

グローバル化の行き着く先はそこでしょう。

TPPからFTAAP(アジア太平洋自由貿易地域)への流れは、形骸化しつつあるAPECの理念を引き継ぎ、APECの代わりにさらにドラスティックに地域間の協力を深めていこうとする流れだろうと私はみています。

その暁には、市場統合 → 通貨統合 → 財政&政治統合

と進み、最終的には「地域統合」を目指しているのではないか?と思います。

ヨーロッパ連合ならぬ「アジア・太平洋連合」ですね。

しかしながら、EUがあんな状況ですから一部のエリート達は「地域統合はうまくいかないのでは?」と思い始めています。

ですが、地域統合を進めるエリート達の方が経済的にも政治的にも力が強いので、減速することはあっても地域統合は進んでいくでしょう。

EUは何故失敗したのか?

何故エリート達が地域統合を進めようとしているのか? それはEU設立の目的を考えれば分かります。

ヨーロッパ統合というのは、長い戦争の歴史の中で、国境を越えた地域共同体を作り出す、それによって域内の平和を実現しようという運動です。

元々ヨーロッパの国々の「偉い人」達は、カント的なコスポリタニズムを持っていて、「イタリア人だろうが、フランス人だろうが、ドイツ人だろうが連帯できるはずだ」と考えていました。

コスモポリタニズムを簡単に説明すると「人類皆兄弟、仲良くしよう」という思想です。

ヨーロッパの地域の国々にはかなり共通の伝統がありますから、彼らエリート達が「連帯できるはずだ」と考えるのも分からなくもない。

しかし彼らの最大の誤算は、「自分らのコスモポリタニズムが薄っぺらいものだった」ということです。

「ヨーロッパ人は、皆兄弟だぜ(*^▽^*)」とか言っておきながら、その兄弟(ギリシャ)が苦しくなった時には、

「えっ? あいつら勝手にバブルで踊ってさんざん浪費していたくせに、今赤字になって困っているのは自業自得だろ?

なんで俺らの税金で彼らを助けなきゃならんの?(;`皿´)」

ってなるわけです。

もちろん一番悪いのはギリシャなんですが、今EU内で一番黒字を出しているドイツなどは、為替リスクがないのを利用して、ギリシャやほかのEU圏の国に対してどんどん域内輸出をしたおかげで大儲けしているのです。

ですので、ある意味今のドイツやフランスがあるのは、ギリシャとかスペインとか、そういう国々のおかげなんですが、いったん危機が訪れると「助け合いの精神」が働かない。

「いやいや、IMFも加盟国もたくさん支援しているじゃないか?(´・ω・`)」

と、思われるかもしれませんが、いろんな条件付きなので、全く支援になっていません。

なんというか、「借金を肩代わりしてやる、その代わりといっちゃあなんだが・・・( ̄ー ̄)ニヤリッ」みたいな「やくざ的行為」をドイツ(及びフランス)がしています。

むしろギリシャ及び、ポルトガル、アイルランド、スペインなどがもっと混乱したほうが「支援」の名の下に色々と要求出来るから、むしろ好都合だと思っているきらいがあると、私には感じられます。

多国籍企業もこれらの国々のことをよだれをたらしながら襲い掛かるタイミングをうかがっているところでしょう。

借金返済の為にこれらの国々が国有資産(水道・ガスなどの公社、その他国営企業)を売却し始めた途端、格安になったこれらの資産をあさりにくると思います。

実際、ギリシャはそれらの資産売却を検討しているようです。

おそらくドイツやフランス、IMFにそのように言われたのでしょう。

このように悲惨な状況になってしまったEUですが、何故失敗したのか?

・あんな国を加盟国にしてしまったからだ
・域内で完全な政治統合と財政統合を進めなかったからだ

いろいろ理由はあると思いますが、私が思うに根本の原因は、上でもちらっと書きましたが、

「コスモポリタニズムが薄っぺらかった」のです。

「我々の文化や伝統は非常に似通っている」とエリート達は思っていたが(実際そうだが)、それでも多少は違っていた。

国民性の違いが大きいほど、お互いの国々の価値観を理解し受け入れる土壌がないという事だから、域内で貧富の格差があるのは我慢が出来ないし、自分達の生活が苦しくなるほどの過度な支援もしたくない、むしろ弱っているものを見ると「チャンス」と思ってしまう(苦笑)

そんな国家意識を持っている国同士が地域統合をしても、うまくいくはずがありません。
「危機」にモロいのです。

「経済危機」ですらこのザマです。

日本人である私からすれば、

「このような小さい問題ですら連係できないで、大きな災害がきたらどうするんですか?」

と、言いたくなります。

EUは「急ぎ過ぎた」のでしょう。

確か1920年代から地域統合の動きが始まったと思います。

今は2012年、ヨーロッパのエリート達は用意周到に、時間をたっぷりかけて、段階的に進めてきたと思いますが、今のEUの状況を鑑みるに、それでも「急ぎ過ぎた」と私は思います。

ブリュッセルに集まるエリート達は意識も高く、「共通の目的」を持っていました。

しかし、彼らの国々の主体である一般層は、それほど意識は高くない。

一般層とはその国の伝統と文化に密接に関わっていて、そう簡単には国境を超えられないものなんです。

だから争いが起こる。 エリート達はそれに足を引っ張られてしまって、いつの間にかかつて抱いていた「共通の目的」を忘れてしまい、彼ら同士も争う結果になった、そんなところでしょう。

地域統合で最も重要な要因は、財政統合や政治統合ではなく、「国民統合」だと思います。

つまりお互いの国民の意識レベルが高く、しかもある程度共通していなければならない。

それをせずに財政統合や政治統合をしても、域内で「紛争」を頻発させることになるでしょう。 今の中国を見れば明らかです。

国家間の統合を成功させるには、下記のような条件を全て満たさなければならないと、私は考えています。

  • エリート同士の交流で済ませるのではなく、国民同士の交流も頻繁に行う、
  • お互いの伝統・文化に理解を示すことが出来る、
  • その上で国同士の「格差」をなくしていく、
  • 人の移動がどちらか一方に偏らず、満遍なく行われる、

これらの条件が全て揃って、はじめて国同士の統合の議論が出来るレベルでしょう。

たぶん数十年というスパンでは到底無理なので、非常に難しいです。

ましてや多国間で一気に統合しようとしたわけですから、「混乱」が起きるのは当然だと思います。

さて、これらの事を踏まえて改めてTPPについて考えてみましょう。

TPPの目的(理念)は「自由な競争・自由な貿易の促進を実現すること」ですが、将来的にアジア・太平洋地域の統合を進める為の戦略の一環である事は間違いありません。

しかし、EUのような地域統合とは「全く別物である」と思えてなりません。

EUには「お互いの国が連携して、争いをなくそう!」という理念がありました(少なくとも当初は)。

ところがTPPのそれは、確実に争いを生み出します。

「自由な競争・自由な貿易」とは、言い換えれば、

自由貿易の罠

と言ってるようなものです。

これでは競争力のない国は大変です。

細かく階級で区切られていたボクシングだったのが、いきなり階級がとっぱらわれてヘビー級とミニマム級がガチで打ち合わなきゃいけなくなります。

これでは「負け」は見えていて、自由な競争ではあっても公平な競争ではありません。

「自由貿易」の名の下に、グローバル資本が貧しい国の資源や資本を略奪することを正当化するのがTPPの本質です。

先進国と発展途上国の格差はますます広がり、政情不安が高まり、自分達の国の「雇用・資源・絆」を奪ったグローバル資本に対する怒りが積もってあちこちで「国内紛争」が起こるでしょう。

しかし、いくら国民がデモをしようが、グローバル資本が行う蹂躙行為を国家が止めることは出来ません。

そういう「仕組み」がTPPの中に定められているからです。

これは「自由競争」という皮を被った現代の重商主義や帝国主義の始まりといっても言い過ぎではないでしょう。

これからはおそらくグローバル経済がますます不安定化して、各国による市場の取り合いが始まるでしょう。

その「ルール作り」を今進めているところなのです。

そして日本も「市場の取り合い競争」に参加せざるを得ないでしょう。

略奪する側に回らないと略奪されてしまうからです。

そして、そう選択せざるを得ないように各国を追い込むのが、TPPやFTAなどの一連の自由貿易協定や経済連携です。

私なりにこれらの国際協定の中身を調べてみたのですが、これらに参加しないとかなりの差別的な待遇を受ける事が分かりました。

TPP参加国が増えれば増えるほど、FTA締結を進める国々が増えれば増えるほど、それらを進めていない国は圧倒的に競争に不利になります。

このような国際協定は企業にとっては朗報かもしれませんが(一部の)、国民が幸せに生活出来ることはありません。

「豊かになる」かもしれませんが、「幸せ」かどうかは限りません。

FTAをバンバン進めている韓国は確かに企業の競争力はついたけども、国民の生活が豊かになっているわけではありません、ましてや競争が激し過ぎて「豊かさ」や「幸せ」を感じる暇もないでしょう。

「国の幸福度」と「経済成長」は、必ずしもイコールではないし、「ガンの五年生存率」なんかそうですが、数字を使って説明してくる時は騙そうとしている可能性が高いのです。

TPPやFTA等を結ぶことで得をするのは、国民でも国家でもなく、国を代表する多国籍企業だけです。

実際にTPPを推進しているのは各国の政府というよりは、各国を代表するグローバル資本達です。

グローバル化の時代は「国家よりも企業が権力を持つ時代」でもありますから、政治家というのは「国民の代表」ではなく、「企業の代弁者」と考えるほうが正しいでしょう(アメリカなんか特に典型的です)。

「日本の競争力を保つ為に」ということで、どんなに反対の意見が強くなってもTPPには参加することになると思います。

リスクは大いにあるが、参加しないのとするのを比較したら、参加以外取れないだろう、と思うからです。

参加した暁には、TPP参加国(特に発展途上国)の中で国内紛争があちこちで起きる事になるでしょう。

「グローバル化すると経済的な相互依存関係が強まるから戦争は起きないだろう(相互依存論)」などと主張している哲学者や経済学者、政治学者がいるけども(カント、トーマス・フリードマン、ジョセフ・ナイ)、「国と国の戦争」の代わりに「国内紛争」が頻繁に起こるようになるわけです。

私はEUと同じ道を歩むような気がします(というか、EUよりひどいかも 苦笑)。

EUと同じように、「未来の世代の為に・・・」と思って参加してみたけども、「何故か争いが耐えなくなってきた」と、なる可能性が高い。

それをどう解決するかが今後の課題になってくるでしょう

【まとめ】私達はどう考え、どう生きていけばよいのか?

とまあ、「これからは生きにくくなる時代になる」と考える理由をだらだらと書いてきました。

ただの私の考えですから「これが真理である(`・ω・´)キリッ」などとは、恐れ多くて言えません。

友人に言わせれば、私の話の半分は誤りと勘違い、残りの半分は誇張と大風呂敷で出来ているらしいので、まぁそういう説もあるということはあらかじめお伝えしておきます(笑)

この記事の目的は「考えるきっかけ」を皆さんに提供する事であり、「正解」を提示しているわけではありません。

変化の早い時代に「絶対的な答えがある」という事が、そもそもうさんくさいのです。

私がテレビや新聞をほとんど見なくなったのは、たくさん矛盾があるにも関わらず、いつの間にか「ひとつの結論」に導かれてしまうことに気づいたからです。

ナントカ大辞典で「納豆がいい!」といわれたら、翌日スーパーから納豆が姿を消してしまう・・・

そのような態度をとり続けていては、本当の意味で「自分の力で生きている」とはいえません。

情報に溺れる

これが「私達を生きにくくさせている要因」の一つでもあります。

そしてそれを促進するのがインターネット社会であり、グローバリゼーションだということをしっかり認識しておいて下さい。

情報が「ガーッ」といっぺんに頭の中を駆け巡ると、よほど意識していない限り、人は「条件反射」してしまいます。

「情報」が右を向けと言うと右を向き、左を向けと言うと左を向く・・・

「情報の精査」を忘れてしまった人達は、自分でもよく分からない「生きづらさ」を感じているはずです。

何故なら、情報に支配されてしまって視野が狭くなっているからです。

ガンになってしまうと医者の言うことだけを信じてしまう、或いは怪しげな健康食品にはまってしまう…、

これも見たいものだけ、信じたいものだけを信じて視野が狭くなった一例でしょう(正直「ガンの告知」をされたらお坊さんでもない限りパニックになりますので、仕方がない面もありますが…、私も何故か熱を出しました 苦笑)。

それは私のブログの意図するところではありませんので、この記事を読んだ後は是非私の記事を精査して下さい。

私がどういう考え方をして、どういう思想を持っているのか?

なにか矛盾点はないのか? どこがダメダメなのか?(笑)

「ツッコミを入れる前提で情報を仕入れる」 このような習慣・訓練があなたの生活を豊かにしていきます。

2012年以降の世界は、良い意味でも悪い意味でも「自己責任」の時代です。

自己責任の時代とは、「個人を尊重する時代」でもあります。

ただ、私が「変だな」「おかしいな」と感じるのは、

  • 個人を尊重するあまり、日本人の連帯意識が希薄になっていること
  • 「ありのままの自分」が素晴らしいという風潮が行き過ぎていること

「日本人の連帯意識」に関しては、東日本大震災での国民の行動を見る限り、まだまだ失われてはいないようで安心しましたが、それでも「自由」が強調され、美化されるあまり「身勝手」な人が増えてきたな~と、つくづく感じます。

自分の事だけを考えた「ありのままの自分」なんて、あり得ないのです。

身勝手な人が増えてきたという事は、「公の意識」が欠如している人が増えていると言う事です。

しかも、常に清廉高潔でなければならない職業に就いている人に限って「公の意識」が欠如している傾向がみられるのがなんとも悲しい・・・

教師「いじめはなかった」

医師「余命3ヶ月です」

政治家「ネバー、ネバー、ネバー、ネ」

このように見て見ぬ振りをしたり、自分が発した言葉の意味をよく理解せずに軽々しく使ったり、筋を通さない人間が増えてきたのは、「日本的なるもの」が失われ、「自由」や「個人」が尊重され始めた事と無関係ではないと思います。

世間に影響力のある偉い人は、「グローバル化の時代だからこそ、個人の能力をいかに引き出していくのかが大切なんだ(トーマスフリードマン)」と、本でも書いていますが、

逆に私は「グローバル化の時代だからこそ【日本的なるもの】が大事なんだ」と考えます。

【日本的なるもの】とは「和を以て貴しとなす」という調和を大切にする日本人特有の精神です。

上でさんざん説明したように、グローバル化というのは「価値観」が地球規模で広がって「均一化」していく現象です。

その時に「価値観」と「価値観」の衝突が起こるので、争いが起こる可能性がかなり高い。

しかし、「調和」を得意とする日本人の「日本的なるもの」をうまく広める事が出来れば、「衝突」の代わりに「共存」「融合」という道が開ける可能性が高いのです。

日本人が間に入ることで、争い合うことなく、双方が納得出来る形で「均一化」していく事が出来ると思うのです。

これこそEUが目指していた理想であり、欠けていた「道徳観念」ではないでしょうか?

最後の最後でやっと勇気や希望の持てる言葉を伝える事が出来ますが、(笑)

こういうことが出来るのは、たぶん日本人だけであり、最も得意とするところです。

アメリカや中国のような国が「皆さん、仲良くしましょうよ(*^▽^*)」と言ったってうさんくさいだけですが、日本が言うからこそ他の国々が耳を傾けるし、信用されるのです。

ただ、このように書くと、元首相が言ってたような「友愛」と勘違いされそうですが(笑)、「バカな善人になれ」と言っているわけではありません。

「実力の伴っていないない善人」ほど質(たち)の悪いものはありませんし、あーゆう方が政治家になってはいけないのです。

ただの「おめでたい人」では、世界に影響を与える事は出来ません。

佇まいで物事を語るような、「力を伴った日本人」こそ世界のリーダーになれるのです。

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