もう1月も半分過ぎましたが、新年明けましておめでとうございますm(_ _)m
今年も当ブログをよろしくお願いします。
前回記事を書いたのがいつだったのか? 調べてみたら去年の10月くらいでした(汗)。
こんな停滞ブログであるにも関わらず、様々な方からコメントやメールを頂きまして感激しています。
出来るだけ返事を出すようにしていますが、返信をしなかった方も、中にはいると思います。 ごめんなさい(´・ω・`)
逐一チェックはしているつもりなんですが、なにせ迷惑メールが多く、もしかしたら迷惑メール扱いされているかもしれません。
それはもうGメールが悪いのでgoogleに文句を言ってくれれば幸いです(笑)
ってことで、なるべくコメントを読むようにしているし、その中には私の記事に関して興味深い意見を述べてくれる方もたくさんいらっしゃって、読んでいる私も非常に勉強になります。
その中に、以前私の書いた記事「スポーツや勉強が出来る人に共通している2つの特徴」に関して意見を述べて頂いた方がいらっしゃって、私は非常に共感出来たし、読んでいるうちにいろいろと考えることがでてきました。
その意見に対する私の考えをこの方だけに直接返信するよりは、このサイトに訪れてくる皆様に共有してもらって、皆さんと一緒に考えていきたいなと思ったので、コメント欄にチョコチョコ書くよりも、一つの記事にします。
本当は元旦に鼻水が滝のように出たこともあり、ちょっとおもしろかったので、新年一発目の記事は、風邪やアレルギー性鼻炎について書こうと思っていたのですが、こちらのほうが重要性が高いと感じたので、これを2012年の一発目の記事にしようと思います。
年始に一年の計画を立てる人は結構な数いらっしゃると思いますが、どういう基準で、どういう価値観を持って計画を立てるのか? もしかしたらこの記事が多少参考になるかもしれません。
なんかね、2012年に世界は滅亡するとか、世界中の主要な指導者が変わるので、緊張状態に突入するとかまことしやかに言われていますが、いずれにしろ「激動の時代」になることは間違いありません。
既にあちこちで「片鱗」は見え始めています。
それが何なのかは今回は特に述べませんが、そんな時代を生き抜く為の私なりの「考え」を述べたいと思います。
もちろんあくまで私の考えなので、これが正解だと言うつもりはありません。
それは一つの意見にすぎず、そもそもこのような性質の問いに対して絶対的な「答え」はないと思います(だから「勝者」と「敗者」が存在していると思います)。
「私の考え」を理解した上で、皆さんなりの「答え」を導き出す、というスタンスでこの記事を読んで頂ければ幸いですm(_ _)m
もし出来れば、上で紹介した記事を読んでもらってからこれからの文章を読んでもらったら、「私なりの考え」をより理解出来ると思います。
もし時間がなければ、上の記事をブックマークしておいて、必ず後で読んで下さいね(笑)
では、例のごとく前置きが長くなりましたが(笑)本題に入りたいと思います。
「その業界で一番になれ」という考えに対する疑問
一応、話を進め易くする為に、前の記事のおさらいをしたいと思います。
前の記事のテーマは、スポーツや勉強に限らず、人生における様々な諸問題を傍から見てるとポンポン解決していく人というのは、2つの特徴があると述べました。
それは、
- 自分に自信を持っている
- ここ一番に強い
ことであると延べました。
「で、なんでそういうことが言えるわけ?」
というのを、あーだこーだと例を交えながら理由を解説していったのですが、その中で「専門家と総合家では、総合家のほうが魅力的だし、成功する確率が高い」ということを主張しました。
逆に言えば、「専門家はモロい」と記事でも述べましたが、
モロイどころか「これからの時代は生きていくことすら難しくなってくる」という話を今回したいのです。
前回の記事に関して、ある方からコメントを頂きました。
貴重な意見をありがとうござましたm(_ _)m
その方によれば、
「10年その業界で努力したという事実はゼネラリストよりも評価されるべきだ」
と、おっしゃっていました。
この方のおっしゃりたいことはよく分かりますし、とても共感できます。
私は
「努力すれば必ず報われる」
「人より時間をかければ必ず追い越せる」
「努力量だけは負けない」
「この分野に関しては絶対誰にも負けない」
という考え方をしていたクチですから、どちらかというとスペシャリスト(専門家)タイプでした。
10年間一つのことを継続出来ているということは、その分野に対して並ならぬ情熱を持っているわけですし、情熱を持っている人というのは、傍から見ても魅力的です。
私もそのような人は大好きです。
ですが、現実は「評価されてしかるべき」とはなっていません。
10年~20年働き続け、その道の専門家といえるほどスキルを見つけた人でも、簡単にリストラされる現実があります。
何故リストラされるのか?
色々な理由があると思いますが、前回の記事の内容に沿って答えるなら、
・NO1の専門家じゃないから。
・専門分野以外にたいしたスキルを持っていないから。
が言えると思います。
このブログはガンの闘病記ですので、それに関連した例を用いてご説明します。
「病院ランキング」というものをご存知でしょうか?
手術の成績や、手術症例数、訪問患者数や口コミで評判の良い病院をランキング形式で表したものです。
ほかには、ガン名医ランキング、リウマチの名医ランキング、糖尿病・・・など、各病気に細分化されたものもでています。
これらはネットや書籍などで簡単に手に入れることができ、日本全国の病院の人気度を誰でも瞬時に共有することが出来るのです。
このランキング付けが正当なものであるかどうかは別にして、このようなランキングが登場したことによってどのような事態を招いたのか?
今まで各地方に偏在していた患者が、ランキング上位の病院へ偏るようになりました。
患者側の心理としては当たり前です。
ガンの手術をするのであれば、出来るだけランクの高い病院や医師にお願いしたいと思うはずです。
NO2の医師だとしても微妙でしょう、絶対NO1がいいと思うはずです。
失敗したら取り返しがつきませんからね(^^;
つまり、NO1の病院(NO1の専門家)はどんどん評価され、どんどん儲かるようになり、
NO2以下の病院(NO2以降の専門家)は、NO1の病院からの「おこぼれ」を、みんなで分け合っているのが今の現状なのです。
何が言いたいかといいますと、専門家といえども、一番以外はあまり価値がなくなってきている、そういう時代になりつつあるのです。
これらはインターネットに代表される「情報伝達の発達&高速化」が実現した結果、もたらされた時代だと私は考えています。
電話のなかった時代に、もしガンを治す専門医を探そうと思ったら、身近にいる人達の家を渡り歩いて「名医知ってる~?」としらみつぶしで聞きまわるぐらいしか方法がありませんでした。
どーしても時間がかかります。
時間がかかり過ぎて名医(NO1の専門家)を探しているうちに死んじゃうかもしれないので(笑)とりあえず身近にいる医者(NO2以降の専門家)にお願いしていたのが今までの時代でした。
一番にならなくても食っていけた時代は、こういう時代です。
電話のある時代でも、せいぜい電話番号の知っている人の範囲でしか情報の交換は行われませんでした。
しかし、今の時代はインターネットに接続できる環境さえあれば、顔も名前も知らない世界中の人達と情報の交換を行えるようになりました。
私はこの記事を読んでくれている皆さんのことは何も知らないのですが、ここのコメント欄やメールなどで会話出来ますし、それによってお互い勉強になるわけです。
「知りたい情報にすぐアクセス出来る時代」というのは、「NO1の専門家をすぐに探せる時代」ともいえます。
つまり、今までよりもNO1のものに人も資本も集まりすくなります。
競争はさらに激化し、その結果、NO1の価値はさらに高まり、NO2以降の価値はどんどん減り、NO2以降はもはや「代替可能」になり、より安価なものから選ばれるようになりました。
痛くない注射針を発明した岡野雅行さんは、その分野に関してはNO1の技術屋&専門家だから、この時代でも生き残れます。
「よし、4番目に痛くない注射針を採用しよう!」と考える病院はあまりいないでしょう(笑)
岡野さんのような、ある分野で一番の技術を持っている人達はこう言います。
「人に出来ない仕事をやれ、自分にしか出来ない技術を身につけろ、何回失敗するかわからないが、何十年か先には必ず活きてくる」
つまり、NO1の専門家になれ! ということです。
もちろんこれは真理の一つです。
私が上で説明したように「1番の人はより儲かる時代」になってきているからです。
しかし、彼らが絶対に言わない、あるいはきちんと説明しないのは、
「NO1というのは一人しかなれないこと」であり、「血みどろの競争の世界」であり、「NO1以外は生き残れない、そういう時代になってきた」ということ。
「NO2以降の価値がほとんどない時代では、NO1しか食っていくのが難しくなってくる」ということを、(意図的なのか、分かっていないのかどうかは分かりませんが)きちんと説明しないで「NO1を目指せ!」と主張している。
言っていることは正しいんですが、中途半端に説明しているから岡野さんのような人の話を聞いた人は、ほとんどが脱落する可能性が高いんです。
当たり前です。 NO1は一人しかなれないし、(何度もくどいようですが 笑)「自分にしか出来ない技術」を身につけるのがそもそも難しいし、NO2に落ちぶれた途端、一瞬で価値がなくなるでしょう。
もちろん分野をどんどん絞ってニッチな分野でNO1の専門家になることは比較的簡単です。
しかし、簡単なゆえにすぐにNO1の座を奪われる可能性が高いし、その分野がニッチ過ぎて、「誰からも評価されない芸術」なんてことになる可能性もあります。
誰からも評価されないNO1の専門家など価値はないですし、食っていけるはずはありません(後世の人に評価される可能性はありますけどね。でも、死んだ後に評価されても、なんか微妙ですよね 笑)。
それもきちんと説明せずに「NO1を目指せ!」と言っている。
どんどんうつ病を増やすんじゃないか?と思うんですよね。
当たり前だったことが、当たり前ではなくなってきた時代
しかも前回の記事で説明しているように、専門家というのは環境の変化にモロいです。
さらに言えば、情報の伝達速度が圧倒的に早くなった現在の世界では、環境の変化はすぐに起こります。
環境の変化どころか、今までは当たり前だった価値観や道徳といった観念も変わってきています。
良いか悪いかは別として、今までニューハーフの方がこんなにテレビに出る時代がかつてあったかどうかと言えば、(私の知る限りでは)なかったと思うし、フランスでは少子化を食い止める為に結婚という概念をなくしました。
日本もそうなるのかどうか分かりませんが、私が気になっているのは「離婚」や「不倫」というものがあまりにも簡単に行われていることです。
人と人との「約束」や「契約」というものが、あまりにも簡単に破棄されてやしないか?
と、感じるんです。
テレビや新聞などで芸能人がルーティンのごとく離婚していくのを何度も見せられ聞かせられると、「ああ…、結婚ってそういう軽いもんなのね、ちょっと嫌になったら別れちゃえばイインダネ(*^▽^*)」と、あまり物事を深く考えない人達は判断してしまいます。
去年は友人の結婚式に多く参加した年でもあって、新郎新婦が両親の前で「今まで育ててくれてありがとう」的な挨拶をし、その度に感動するんですが、一方でポンポン離婚していくという「現実」がある。
「犯罪」についても言えると思います。
ちょっとテーマから外れるようで申し訳ないんですが、これは私が最近すごく感じる事なのでちょっと書きたいんですけど、
犯罪というものが、インスタントなものになり過ぎてやしないか?
と、感じるんです。
- 少し昔の話なのですが、かつてのわが国のトップが9億円の脱税をしたにも関わらず、お咎めなしだったり、
- 最悪の原発事故を起こした東電の責任者達が逃げまくって責任らしい責任をとらなかったり、
- (法的根拠&手続きもなしで)首相の一声で浜岡原発が停止されたり、
某有名芸能人の早期復帰の待望論もまことしやかに囁かれていますが、これも似たような話です。
- 権力者は法より優越するのか?
- 有名人は何しても許されるのか?
- 「ある種の空気の支配」について、なんの違和感も感じないのか?
かつては当たり前だった価値観とか道徳とか、あらゆるものが変化していっている世の中において、同じ考え方・同じ生き方が通用するとは考えにくいです。
痛くない注射針を開発した岡本さんは、「注射を必要としない世の中」が訪れれば一瞬にして倒産の危機が訪れるでしょう(もちろんその技術がほかに活かされることもありますので、一概に「倒産」とは言えないと思いますが、あくまで例として)。
そういう時代が来ないとも限りません。
コンビニのレジ打ちの人は、低賃金で働く若者が就くのが一般的でしたが、さらに低賃金で働く外国人労働者にとって変わられようとしています。
やがてロボットがコンビニのレジ打ちをするようになり、外国人労働者も淘汰されていくようになるでしょう。
高齢化の時代、介護の需要は益々増えるだろう、なーんて言っている人がいますが、介護ロボットが開発されれば、一気に大量の失業者が溢れるでしょう。
環境の変化には誰も逆らえません。
変化を否定したものから、どんどん淘汰されます。
NO1の専門家でも同じです。
変化の早い現代の世の中では、NO1になってもチヤホヤされるのは短期間だけです。
のほほーんと湯船に漬かっている間に、いつの間にか世間から消えていっています。
ブレない幸せを手に入れる為に
私が思うに、現代を生きるにあたって大事なことは、「一番になる力」よりも「環境の変化に順応する力」だと思います。
総合商社のような生き方です。
総合商社というのは、日本独特のユニークな企業で、一つの会社のなかで全く異なる様々な分野の商品を扱っています。
木材部門が不況業種だとすれば、そこにいる人員を削減し、業容を縮小しながら、今度は好調である機械部門やIT部門に人・モノ・カネを投入して会社全体の利益を保ってゆく。
あるいは円高ドル安で輸出が難しくなってくれば、輸入貿易で利益を出していく、円安ドル高なら逆に輸出の商品を増やしていく。
このように、総合商社という企業では景気の変動(=環境の変化)に合わせて会社の方向性を自由自在に変化していくのです。
私はこの総合商社の経営の手法に、これからの時代を生き延びるヒントが隠されていると考えています。
人生の始めから終わりまで全て順風満帆でいく人というのはごくまれで、自分が目指していた方法が行き止まりになったり、挫折してしまったりすることが、ままあると思うのです。
専門家というのは、単一の商品しか扱いませんから、逆風になった途端に淘汰されていきます。
しかし、扱える商品がいくつかあれば、そこで勝負出来るわけです。
つまり、生き残る確率が高くなるわけです。
私の親戚に、何回も一発で転職を成功させている40代の男性がいますが、この人は資格を取得することが趣味のようになっていて、他人から見たら全く実用性のないようなものを勉強していますし、実際に取得している資格と関係のない業種に応募したりもしていますが、
競争が激しい業種にも関わらず、ことごとく一発採用をもぎ取り続けています(飽きやすいのが玉にキズですが(汗)、それを正直に書いている履歴書でもなお採用され続けている事実があるから不思議です)。
それは採用する側からしたら物珍しいわけで、履歴書を見るだけでほかのたくさんの履歴書と差別化が図れているんだと思います。
実際に他業種他分野に挑戦してきているわけですから、「知識」と「経験」が圧倒的に多いので、その分野にどっぷり浸かって頭が固くなってしまっている上司が考えもつかないような「アイディア」がどんどん思いつくのです。
そういう人材を企業は求めているわけですから、たとえ年齢が40を超えても起用されることになるのです。
専門家というのは、ある意味「自分の幸福の拠り所が一つしかない」ということなのです。
これさえあれば、自分は幸福だといえる人は、一見筋の通った力強い人生を生きているように見ても、どこかでポッキリと折れてしまうことが多いように感じます。
子供だけが生きがいだという母親は、子供が成人したあと、心が空虚になり、妻をめとったいい年齢の息子にあれこれと世話を焼いて、嫁との間に物議をかもすのです。
夫だけが生き甲斐だと信じている妻は、夫の帰宅が遅いといっては嘆き、夫が土日にあまり話し相手になってくれないと愚痴をいい、だんだん不幸になってゆくのです。
また、とにかく人より一歩でも早く出世することだけが自分の幸福なのだと思っている人(男性に多い)は、誰よりも早く出社して、誰よりも遅くまで残業し、土日も働いて、だんだん他人を寄せつけない孤独な性格になってゆきます。
そして、やがて自分の出世にもハッキリと先が見えた時、自分の不幸を感じるのです。
いまや公務員が安泰だと言う人は少ないと思います。
橋本新市長が誕生したことで、あそこの労働組合や教育委員会は今頃「大変だ~」なんつってあたふたしていますが、
時代の流れや価値観の変遷に気づかず、「公務員はリストラされない」から安心しきってしまい、一つのことだけやってればよい、一つの収入源だけでも安心だ、何故なら絶対なくならないから、親方日の丸だもんネ♪と信じきっていたわけですよね。
だからそれがなくなると、子供が見てても「無様だ・・・、あんな大人になりたくねー(´Д`)」と感じるくらいに必死になって抵抗してくるのです。
正社員という立場も今後なくなっていくでしょう(何年後かは分かりませんが)。
存在意義がありません。
結局、単一の商品、単一の技術、単一の幸せだけに追いすがって生きている人は、どこかで歯車が狂った時、幸福の極端から不幸の極端へと人生がブレてしまうのです。
たった一つの幸福だけを求める心は、いつしか執着へと変わってゆく可能性が大きいのです。
幸福とは、もっと豊かなものではないでしょうか?
いろんな方面に自分の幸福は見出してゆけるものではないでしょうか?
一つや二つの商品が売れなくても、リストラされても決してめげずにほかの部分でカバー出来るような「総合商社のような人間」になるほうが幸せなのではないでしょうか?
どのような不幸が襲ってきても簡単には打ちのめされない人間、それはNO1の人間ではなく、総合商社のようにあらゆる分野に精通している人間であると私は考えます。
あらゆる分野に精通しているといっても、「ある程度」でいいんです。
「中途半端な専門家」ぐらいの専門性をいくつも併せ持っている「総合家」のような立ち位置が、バランスがとれていて丁度いいと思います。
あらゆる分野に精通しなければならない、と言っちゃうと、「専門家になるよりよほど大変な事だろう?」と思っちゃうかもしれませんが、「ある程度」でいいので、そこまで構える必要はありません。
とりあえず、色々なことをやってみたらいいのです。
面倒くさいと思いますか?
億劫だと思いますか?
やってみたら分かると思いますけど、これがね・・・、
色々な事に挑戦したほうが楽しいのです。
色々な幸せがあることに気づけるのです。
家でネットばかりしている人は、外で人と出会う楽しさに気づくことが出来ないし、逆にネットをしない人は、ネットの手軽さ・便利さを理解出来ないし、実はネットのほうが今まで到底出会えることのなかった人達と出会える可能性が高いことに気づけない
アウトドア派の人は、例えば将棋をしている人が味わえるような「最高の一手」を考えた瞬間のあの感動を味わうことは出来ない。
いつも好き勝手おいしいものばっかり食べている人は、本当の意味で心も体も万全という状態を味わうことが出来ないし、逆に
「毎日サプリメントを摂ってます(`・ω・´)キリッ」
「食生活はバッチリです(`・ω・´)キリッ」
「外食?とんでもない!(`・ω・´)キリッ」
と考えている人は、食事の大切さ・楽しさに気づくことは出来ない。
節約に走ってしまう人は、お金から解放され、お金から自由になることは出来ないし、お金を際限なく使ってあれもこれも高価なブランド品を買っちゃうような人は、「本当の満足」を手に入れることは出来ない
本ばっかり読んでいる人は、本から得た知識を「実体験を伴った智慧」に昇華することは出来ないし、本を読まない人は、「自分が体験したこと以上の知識や世界」を知ることは出来ない
これは、完璧主義者の人に特に強くお勧めしたいです。
「色々な事を不完全なレベルでいいので取り組んでみる」ということを・・・。
世界観が変わると思います。
幸せとか、豊かさとかにも色々あるんだなと実感できるはずです(もちろん不幸とか、悪も同じです)。
いろいろな「見方」があります。
その「見方」をより多く見つけることが出来る人が幸せになれる人ですし、環境の変化に強い人です。
幸福は単一のものから得られるものではありません。
様々なものから感じ取ってゆけるものです。
追記:
新年一発目の記事でしたが、いかがでしたでしょうか?
一応まとめておきますと、前回の記事では
物事の上達が早い人の特徴は、一つの分野だけ秀でているのではなく、あらゆる分野で一定の成果を挙げている。
そのような総合的にバランスのとれている人は、結果的に成功しやすい。
という話をしました。
そして今日の記事では、
一つの分野だけ秀でていてもほとんど価値はなく、それどころか食っていくのも難しい時代になってきた。
という話をしました。
もちろん「これが絶対正解だ!」などと言うつもりは毛頭なく、あくまで私はそう考えている、という事です。
ですのでこの記事を読んであたふたする必要は全くなく、読んでくれた皆さんの「考えるきっかけ」になってくれれば、私も書いた甲斐があるというものです。
読んでいて気づいている人は気づいていると思いますが、このような「変化の早い時代」「情報の伝達スピードが加速する時代」というのは、全てグローバリゼーションが関係しています。
近年「グローバル化の波が~」とよく言われるようになってきましたが、2012年以降は「世界がグローバル化するというのはどういうことなのか?」が、いよいよ誰の目にも明らかになる時代になってきます。
この日本で普通に生きていれば、誰でも大なり小なり実感していると思います。
それは日本が地震や原発で大変だからというだけではなく、世界のあらゆる情勢を見ていると、感覚として感じると思います。
このグローバリゼーションが、私達を生きにくくしている張本人です。
実はこの記事でも
- 私の考えるグローバル化とはなにか?
- グローバル化によって何がもたらされるのか?
- グローバル化は善なのか?悪なのか?
- グローバル化が私達を生きにくくしていく理由とは?
など、グローバル化について思うことをごちゃごちゃと書いていたのですが、
「ちょっと長くなり過ぎるかな?」と思ったのと、より抽象レベルの高い話をしている為、もう少し具体例を挙げて理解しやすくしようと思って、書いている途中でしたが分割して2記事にすることにしました。
その意味でこの記事は「未完成」です。
グローバル化のような厳しい世界でも、「総合商社型人間」は生き残っていけると私は確信しています。
ですので、この記事は「グローバル化した世界で生き抜く方法」ですが、次回の記事は「グローバリゼーションが私達にもたらすもの」です。
「順番的に逆にした方がいいのかな?」とも思ったのですが、まだ書ききれていないですし、面倒臭いのでそのまま投稿します(笑)
タイトルは「何故こんなに生きにくいのか?」です(本当はこの記事のタイトルでしたが、分割したので・・・)。
近いうちに投稿しますので、よかったら読んでやって下さいm(_ _)m
では、失礼します。
このブログの運営は、皆様の「支援」によって成り立っています。
コメント
S様、コメントありがとうございます。
>抗がん剤は反対で家族内で意見が分かれたり様々
ありましたが本人の決めたことに応えて支えていきたいと
思っています。
本人の意思を尊重するのは基本だと思います。
家族内で意見が分かれたそうですが、そういう話し合いは大いにやったほうが良いと思います。
今後の治療プランに対して「複数の選択肢がある」事が大切だと思います。
一番いけないのは、
・「抗がん剤しかありません!」
・「このサプリメントしかありません!」
などと、治療プランを限定してしまうことだと思います(もちろん複数の治療法や健康食品を摂る場合には、その「相性」を考えることが必要です)。
改善されてきているとはいえ、ガン治療法は「死なない病気である」と言えるまで確立されていないと私は考えています。
「ガン再発予防」に関して言えば、ポンポン再発している現状を見れば、全く再発を防ぎきれていない、「全然予防出来ていない」のでほとんど無力といってもいいでしょう。
そういう現状を踏まえると、単一の治療法をもってガンに立ち向かうのは、正しいアプローチではありません。
そう言うと「お金のかかる話」に聞こえるかもしれませんが、お金のかからない部分(睡眠時間や運動する時間を確保する等)でいくらでも改善出来る部分はたくさんあります。
それに「+α」を考える場合、やはり勉強が必要になってくるでしょう。
ガン患者本人が勉強するのが一番ですが、それを含めた家族全体が一丸となって勉強するのが一番ベストだと思います。
家族みんなでガンに立ち向かったいい例が、下記のサイトです。
私は自分ひとりで勉強しましたが、そうしますとどうも物事を偏って見てしまう可能性がありますので、上記のサイトのように、色々な視点を持った複数の人がタッグを組んで勉強するといいと思いますよ。
今後ともこのサイトでは、私が勉強し、実践し、結果を検証し、誰でも行いやすいように体系化された知識を提供していこうと考えています。
まだ手術から2年足らずですので(再発はしていません)参考にはならないのですが、暇つぶしにでも読んで頂けたらと思いますm(_ _)m
新里