スポーツや勉強が出来る人に共通している2つの特徴

ビリヤードホール

最近ビリヤードにハマってまして、友達と週に2回は突いています。

先日は少しヒマだったんで、いきつけのホールに一人で突きにいきました(誰もつかまらなかった(´・ω・`))。

午後3時前くらいに行ったので、ビリヤードは私一人しかいませんでした。

1時から開いているんですが、今はどうやらビリヤードよりもダーツのほうが人気らしく、午後3時という早い時間にもかかわらず、結構人がいました。

私がビリヤードを初めてやったのは、たぶん中一の頃です。

通ってた塾の近くにゲームセンターがありまして、そこで全く手入れのされていない、バンカーのある(ラシャが破れている)台で遊んでいました(笑)。

高校の近くにもビリヤード台が置いてある、部活の生徒達とかがたまるお店があり、私も部活が終わった後に友達とよく突いていました。

まるで成長していない

社会人になってもちょくちょく突いていましたから、結構うまくなっていてもいいと思うのですが、全く上達しないです(^^;

最近やっとまっすぐ突けるようになってきたかなーと思ったら、次来た時には元に戻っていたり・・・、(≧□≦)

上手く出来る日もあれば、全くダメな日もある。

何がいけないのかよく分からないまま無駄な経験を積み重ねてきている感じですね(汗)

一応マイキューは持っているのですが、実力的に言えばC級です。

まあ、全然上達しない自分ですが、下手な横好きって事でよく突いています(^ー^)

で、話を戻しまして、先日一人でビリヤードをした日のことです。

早い時間に行ったので、ビリヤードしている人は私一人。

いつもは友達と一緒にプレーするのでなんか違和感があっていつもより調子が悪かったです(≧□≦)

いつもと状況が変わると、すぐ調子が悪くなる私・・・

精神的に弱い証拠ですね(^^;

私が一番直したいところでもあります。

突き始めて10分くらい経つと、一人誰かお店に入ってきました。

いつも見る人です。

30代半ばくらいの人で、たぶんお店に来る人で一番上手い人なんじゃないかなぁと思います。

実力的にはA級で、道具も色々持っていて、普通にプレイするキューのほかに、ブレイクキュー、ジャンプキュー、マッセキューなども持って来て、「この人プロなんじゃねぇ?」と思っていました。

この人が私の隣の台で遊んでいました。

「なんで10台もあるのに隣でやるん? なんかちょいやりにくいなぁ~」とか考えながら私も遊んでいたら、さらに玉が入らなくなってきました。

「うわ~すぐに不安定になる自分ww」

とか自虐的な気持ちでプレーしてたら、

プロっぽい人:「すみません」

キターーーー(;`・ω・)ノ

プロっぽい人:「一緒にナインボールしませんか?^^」

やっぱりね・・・。 なんか誘われそうな気がしたんですよ。

たぶん初対面の人とやり慣れているんだろうな、私は人見知りするタイプではないんですけど、人と話すだけで緊張するので「あっ、やりますか」って言ったと思うんですが、どもってたのか、「えっ?」と聞き返していました(笑)

荷物をその人の台のところへ移動して、ナインボールをしました。

ナインボールは正直あまりルールも分からないし(普段はエイトボールをやっています)、ボールの並べ方もよく分からない、順番で入れていけばいいのは分かっているんだけど、それ以外はよく分かりませんでした。

でも緊張していたせいか、その人のなすがままに話が進んで、ナインボールをやることになりました。

私は普段は友達とエイトボールをやるんですが、まあ一番人気のあるゲームはナインボールですし、ハウスで大会がある時はほとんどナインボールですから、「ナインボールもちょっと勉強しようかな、」って思っていました。

プロっぽい人:「B級くらいですか?^^」

なにをおっしゃる! 私は万年C級の下級サイヤ人です(☆_☆)

13ゲーム先取でハンデをもらった、私は2ゲーム先取すれば勝ちって事になった。

(えっ?いくらなんでも2ゲームだったら勝てるだろ!?)

なめてやがる!!

そう思うと少し緊張がなくなってきて、肩の力が抜けてきた気がしました。

軽く話をしながらプレイしていましたし、少しずつ打ち解けてきて緊張がほぐれてきたんですけども、この人があまりにも上手いので圧倒されていました。

この前のサッカーの日本VSタジキスタンの試合のように、実力差があり、さらにアウェーの雰囲気+圧倒的な点数差がついてくると、戦意喪失するような感じです。

このハウスは私のホームなんですけど、まるでアウェーのハウスにいるような気分で萎縮してしまい、全く実力が出せませんでした。

とはいっても2ゲームなので、ラッキーが重なった事も合ってさすがに2ゲームはとることが出来ました。

そのままゲーム続行で、13ゲーム先取するほうが勝ち!ってことにルール変更し、そのままお互い突いていました。

どんどん突いていくうちに調子も出て来ましたが、全然試合になりませんでした(^^;

聞けば、過去に西日本の大会でベスト8に入ったことがあるとか、師匠がプロのハスラーらしく、かなりビリヤードについては自信を持っているようでした。

その日の夜に、新しくオープンしたお店でナインボールの大会があるらしく、沖縄中のつわもの達が集まるのだとか、、

本番にピークを持っていく為に、今ちょっと練習しにきたんだそうです。

まだ時間はあったのですが、ちょっと用があるらしく、「もう行きます」といって番号交換してハウスからその人は出て行きました。

相手はA級ですし、実力差があるから負けるのは当たり前なんですが、極端な負けず嫌いな私はとても悔しかったです。

それ以上に普段通りの実力が出せなかったこと、メンタル面が弱い自分が、ちょっと情けなかったです。

ここは本当に私の治したい部分の一つなんですよね~、

普段同じ人としか突いていない自分、かたやTさん(名前は聞いたので、Tさんとしときます)は毎回違う人と突いている感じなので、マイキューを持っている人を狙って色々声を掛けているんだろうな、と思いました。

たぶん、全く赤の他人とゲームをする経験を積むことで、大会に出てもリラックスした状態で本来の実力が出せるように訓練しているのかもしれません。

私が自虐的に、「全く初めての人と突くと、全然入らなくなるのはなんででしょーね・゚・(ノД`)・゚・」と苦笑していましたら、

Tさん:「まだ実力が安定していないとそうなるかもね、いろんな人とやるといいよ^^」

と言いました。

「なるほど」と思いました。

いろんな人ね~、

言ってること分かりますけどTさんみたいに気軽に見知らぬ人に声をかけられないんですよね~、

人見知りはしないと思うんですけどなんか緊張するんですよね、極端なアガリ症なんで(苦笑)

自己分析してみると、どうも自分は「人によく見られたい」という願望があるのかもしれません。

ビリヤードしている時も人の目が気になりますし(誰も私のことなんか見てないのに 笑)、ビリヤード以外の場面でもそうなのかもしれない。

認めたくない面ではありますが(汗)

ありもしない視線を感じると、途端に集中力が分散されて玉を外してしまう…、外しているところを見られるのは格好悪い!

そのような負の思考が、本来の実力を発揮する事を妨げているかもしれません。

たぶん「人の目を気にする人」や「対人恐怖症」の人は、他人と比較しちゃう癖があったり、人には知られたくないコンプレックスを抱えていたりすると思うので、「そういうところが自分にはないだろうか?」と自己分析してみると、無意識に他人と自分とを比較しちゃい、感じる必要のない劣等感を感じちゃったりする事がよくある事に気づきました。

もっと深く突き詰めてみると、「人によく見られたい」とか「人によく思われたい」人は、裏を返せば「今の自分が好きではない、満足していない」ということになるんじゃないか?

今の自分はダメな自分だから、そんな情けない姿を人に見られたくない!

だから、周りの目を気にするのではないのか?

人によっては、ダメダメな自分を見て影で笑われたり、もしかしたらいじめてくる人がいるかもしれない(ただの被害妄想ですが・・・)、

その対抗措置として、普段から人に対して常に攻撃的な態度で接したり、

人によっては、バカにされる前に人と接触を絶てばいいと考え、引きこもるのかもしれない。

なんか全然ビリヤードと関係ないことを考えていました(笑)

スポーツがすぐに上達する人とそうでない人の違い

いや、全く関係なくもないかもしれない。

Tさんのことは、ビリヤードが上手い以外全く知らないのですが、たぶんほかの事もなんなくこなせそうなんですよね。

私の知り合いに何でも出来る万能人間がいるのですが、Tさんと似ているところがあります。

  • 自分に自信を持っている
  • ここ一番に強い

自分に自信を持っているから、ここ一番に強い、

ここ一番に強いから、自分に自信がある。

たぶん、「自分に自信を持っている」⇔「ここ一番に強い」の関係にあると思います。

例えば、普段頼りない人がいるとします。

仕事もからっきしだし、話の受け答えも頼りない。

気が利かない。

自分に自信がないのか、いつもオドオドしているような人です。

でも、その人はサッカーが得意で、サッカーをやっている時だけは目が輝いていて、まるで別人のようになり、仲間を引っ張り、勝利に導く・・・、

でも、そのような人がバスケやバレーで活躍できるかといえば、もちろん種目が違うからすぐには活躍出来ないと思いますが、ある程度練習しても一定のレベルまでしかいかないでしょう。

何故なら自分に対して自信がないから、

人間としての総合力が高い人は、「自信」がある

私が思うに、「自信」とは、その人が今まで生きてきた中で培ってきたものから生まれるものだと考えています。

トラブルを解決した経験、テストの点数が前と比べて上がった経験、友達と殴り合いをした経験、異性にフラれた経験(笑)、上司に怒られた経験、普段自分がしないような事をした経験・・・

個々で見たらなんでもないような、「小さな成功体験」を積み重ねてきた結果、徐々に形成されてくるものだと思います。

上記の例では、その人はサッカーの分野に関しては「成功体験」を積んでいますが、そのほかはからっきしですよね。

つまり、「総合力」としては足りないといわざるを得ないと思います。

人間としての総合力が足りないから、自信が出ない。

自信が出ないから、ここ一番で力が出ない、結果が出ない・・・、なんてことになるんだと思います。

また、「成功体験」というのは一つの分野に偏ってはいけない。

それでは「本当の意味での自信」は形成されません。

「サッカーについては自信あるけど、ビリヤードは無理~(*_*)」

と、いうことになってしまいます。

そのような人は魅力のある人間だといえるでしょうか?

私はいえないと思いますし、一つの分野に秀でている専門家よりも、いろんな分野を一定のレベルでいいのでこなす事が出来る「総合家」のほうが魅力的ではないでしょうか?

簡単に理解できる事の一つに、総合家のほうが「変化に強い」ですし、いろんなことをやっている分、専門家より総合家のほうが幸せになる可能性が高いでしょう。

専門家はどうしてもモロいです。

外部からの影響やルールの変更により、いとも簡単に駆逐されます。

私がイマイチ専門家に魅力を感じない理由の一つに、「そもそも専門家は、どんな人でもなれる」という事です。

どんなに能力がない(と、自分で「可能性」を縛っちゃっている)人でも、その道で10年くらい頑張ったら専門家になれるんですね。

ですので、一つの会社で10年以上頑張っている方達は全て専門家なんですね。

それよりも業界を超えて、様々なスキルを身につけている人は、総合家と言えると思います。

それが就職や転職に有利かと言われれば、私の中では結論が出ていないのですけども、「どっちが魅力的か?」と言えば、私は総合家の人が魅力的だと考えます。

総合家と専門家、どっちがここ一番に強い?

例によって話がずれてきている感がありますが(笑) 総合家と専門家、どっちが本当の自信を身につけているか?を考えてみたいと思います。

上で説明したとおり、専門家は「環境の変化」にモロいです。

そして、「環境の変化」とはホームとアウェイのような物理的な変化のみではなく、精神的な変化、つまり、緊張したり不安を感じたりなども含まれます。

そのような「取るに足らない変化」をした途端、本来の実力が出なくなるような人は、魅力的とはいえません(ま、自分なんですが(; ̄ー ̄A アセアセ・・・)。

「取るに足らない変化」で本来の実力が出なくなるような人は、「サッカーの最後のPKで外してしまう人間」です。

ちなみに、なでしこJAPANはきっちりPKを決めてくれましたね^^

ここ一番に強い!なでしこジャパン

あの試合は完全に日本に流れがあったのですが、「流れ」なんてものは選手達が作るものですし、それがチームに勢いを作るし、その勢いに押されてアメリカチームはPKを外しまくってましたよね。

日本のなでしこ達が「流れ」を作れたのは、彼女達の中に確固たる自信があったからでしょう。

それは「この試合は勝てるぞ(`・ω・´)キリッ」という低いレベルの自信ではなく、「人間としての総合力から生まれてくる自信」でしょう。

具体的に言いますと、サッカー以外の小さな成功体験・・・。

  • 毎日人に笑顔で挨拶出来ているとか、
  • 靴をきちんと揃えて家に上がる事が出来るとか、
  • きちんとゴミの分別を出来ているとか、
  • 毎日のトレーニングを欠かさず行えているとか、
  • 上司の期待に少しずつ応える事が出来るようになってきたとか、
  • 恥ずかしいながらも、親に感謝の気持ちをはっきりと伝える事が出来たとか、
  • 「ありがとう」「ごめんなさい」をきちんと目を見て言えているとか、

このような、全く関係のないようなものの積み重ねから、人間としての総合力が形成されていきます。

そして、人間としての総合力が高まるにつれて、「本当の自信」が生まれてくるのです。

そこで上記の質問、専門家と総合家、どっちがここ一番に強いのかを考えてみると、どう考えても「積み重ね」の質も量も、総合家の方が上回っているので「本当の自信」を身についてている可能性が高い、

つまり、ここ一番に強い!と言えるのではないでしょうか?

「私はサッカーには自信があるんですよ♪」

というのは、本当の自信ではありません。

「その自信」は、アメリカ戦のPK戦のような場面ではもろくも崩れ去ってしまいます。

あのPKを決める為に必要なものは、技術うんぬんよりも「本当の自信」の方がよっぽど大事です。

「本当の自信」って、具体的にどういうものなのか?

私もうまく言葉にして伝える事が難しいのですが、たぶん

自分自身を肯定できていること

なんじゃないかなぁと思うんです。

私がここ一番でビリヤードのショットを外してしまうのも、大事なPK戦で外してしまうのも、突き詰めれば「自分自身を肯定できていないから」ということになります。

自分自身を肯定するというのは私のような完璧主義者や、反省して修正点を見つけ、改善しようとする人にとっては難しい事なのかもしれません。

「反省する事」 → 「失敗した自分の現状を否定」

という思考になりがちなので、「自分自身を好きになれない」「本物の自信が形成されない」ことにつながります。

実際に、反省して改善点を見つけて修正する事が出来ても、新たに反省点がどんどん見つかってくるのできりがありません。

私は反省すること自体が悪い事とは思いません。

今までそうやって自分自身を成長してきたと思っているからです。

嫌な事から決して目を背けずに、真正面から取り組んできたという自負もあります。

でも、最近、反省する事よりも、自分自身を肯定する事の方が大切だと思うようになりました。

反省は必要ですが、1回で十分。

何回も頭の中でぐるぐると考え続けるよりも、自分自身を肯定し、「本当の自信」を身につけ、本番に強い自分になったほうがよっぽどいいんじゃないか?

いっぱいいっぱい反省して、反省した数だけ自己否定するよりも、

数少ない成功体験に目を向けて「何故、あの時うまくいったのか?」に焦点を当てる方が、長期的に見て得なんじゃないか?

【まとめ】スランプに陥らず、スポーツや習い事を上達させるコツ

この記事のタイトルは「スポーツや勉強が出来る人に共通している2つの特徴」です。

ビリヤードの例を挙げると分かりやすいかな~と思ったので書いたのですが、分かりにくくかったら申し訳ありません(^^;

一応まとめたいと思います。

いくら努力してもうだつが上がらない人がいる中、ある人は勉強も出来るしスポーツも出来る、ほかの事をやらせても上達が早い・・・、

こんな不公平な事があるのだろうか(笑)

でも私が思うに、(物凄く単純化してしまうと)違いは2つしかないんですよ。

スポーツや勉強が出来る人に共通している2つの特徴

自分に自信を持っていれば、ここ一番に強くなる。

ここ一番に強い人間は、自分に自信を持っている。

自分に自信を持っているということは、言い換えれば「自分を肯定出来ていること」。

自信は「人間としての総合力」を高めていくことで生まれてくる。

人間としての総合力を高めていくには、色々な事に挑戦し、そこで「小さな成功体験」を積み重ねていくこと。

私の例で言うと、私はまだ「本当の自信」を身につけていません。

だから見知らぬ人とゲームをすると、いつもの調子が悪くなる。

ここ一番で弱い人間なのです。

そんな私がビリヤードを上達する為には何をすればいいのか?

スキルを身につけるより大事な事があるのです。

  • 釣りがうまくなるように練習をします。
  • 打ち込み釣りしかしたことないので、浮き釣りにも挑戦します。
  • 自分が苦手な人でも積極的にコミュニケーションをとります。
  • ガンの再発を防ぐ為に、毎日の野菜ジュースを怠らずに続けます。
  • 読書をします。
  • 合コンをしたりします(笑)
  • ビリヤードばっかりじゃなく、ダーツをしたりします。
  • エイトボールばかりではなく、ナインボールやスリークッションもしてみます。
  • 適度に運動をします。
  • ボーリングします。

特に、普段の自分ならやらないような事を積極的にすることで、少なからず「成功体験」が積み重なってきて、人間としての総合力、人間としての魅力が備わってくるのです。

そのようなことを意識的に実行する事で、「本物の自信」が身につきます。

自分に自信がある人は、学習するのに最適な精神状態であり、自分のパフォーマンスを最大限に出せる状態にあります。

その状態を維持できるようになってはじめて、スキルを身につける為の練習を行った方がよいのです。

自己否定の感情に冒されたまま練習を行っても良い結果が出るはずもなく、挫折感が増すだけで、最後にはビリヤードをするのが嫌になってしまうでしょう。

スキルは身につくかもしれませんが、安定した実力を出せず、一番大事な場面でショットを外してしまいます。

ビリヤードを例に挙げて説明しましたが、受験勉強や資格の勉強、仕事の場面でも同じだと思います。

結局、「一つの事柄に秀でるには、一つの事だけやっていればよい」ということはあり得ないのではないでしょうか?

私は学生の頃数学が得意でしたが、大学受験で数学だけ満点をとっても大学には受かりません。

全ての教科を一定のレベルまで上げないと合格出来ません。

それと同じ様に、「一つの事柄に秀でるには、全体の底上げをしなければならない」のです。

確か心理学かなんかの本で読んだと思うのですが、「人間の知的能力(集中力とか創造力とか)は同時に鍛えた方が、効率良く向上する」そうです。

ビタミンやミネラルも、個別に摂取するのではなく、様々な種類も満遍なく摂取しないと期待したような効果を発揮しないのと同じですね。

「何事も経験」というのはよく言ったものです。

私も大好きなビリヤードが、少しでも上達出来るように、ビリヤード以外の事も、たくさん経験したいと思います(`・ω・´)キリッ

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コメント

  1. 由加奈 より:

    新里様

    こんにちは。ブログ記事色々と興味深く拝見しました。
    私は30代女性です。

    面白い事や為になる事も多いのですが、かなり昔の記事ですが、2012年2月27日の「スポーツや勉強ができる人に共通している2つの特徴」はどうかなと思う点もありました。

    感想を書いてみます。長文失礼致します。

    「専門家」より「総合家」と言うあれですが…。

    新里さんは勉強ができて頭のいい方だと思いますが、この考えはちょっとレベルを高く取り過ぎではないでしょうか。
    相当高いレベルを想定した考えだな~と…。

    これ普通の人にできるんでしょうか。そんな高いレベルじゃなきゃダメみたいなのは
    うつ病になりそうな考え方のような気がします。

    色々な事を総合的にハイレベルにこなすのは相当限られた人にしかできないし、
    それは、総合が高いほど基盤の自信も高くなるでしょうが…。

    色々な分野の仕事もスポーツもできてイケメンでスタイルがよくて、とか、できるんでしょうか(苦笑)。
    まず無理と言う物では…。

    >どんなに能力がない(と、自分で「可能性」を縛っちゃっている)人でも、その道で10年くらい頑張ったら専門家になれるんですね。

    こう言う考え自体、既に総合的にある程度高い人の考えで、そうでない人は頑張っても専門家になんてなれません。

    極論であるし、ある意味世界の広さを知らないとも言えます。
    世間には一人の人間にこなせない程の物事や仕事があります。

    新里さんの言う「総合」が何を含むのかはわかりませんが、全く畑違いの事を複数こなせるほどの天才ばかりではありません。
    普通の秀才くらいの一般人がそこまでする必要はないと思います。
    専門に深く入り込まないとできない研究もある。理数系の人がどうしてそこを無視するのでしょう。

    この記事で新里さんの言う事はわかります。
    変化の激しい時代にひとつの価値観によっている専門家は対応できない、と言う事だと思います。

    「専門家は環境の変化にもろい」とは、決まった勉強しかできない専門バカ(古い指示待ち人間)の事で、
    現在の専門家で伸びる人は、日々最新の勉強をしています。
    それで変化にもろいとは思えませんし、人材として重用されます。それを軽視するのは勉強熱心な専門家に失礼です。

    仕事のプロジェクトも研究チームも得手不得手を補いながら進める事で成果を出す時代、
    一人の総合家だけで成り立つ訳ではありません。

    親類が歯科医ですが、とても勉強熱心で評判がいいそうです。いつも多くの患者さんの予約が詰まっていて、
    それをこなしながら最新の治療の勉強をしています。
    一度治療をしてもらいましたが、身びいきではなく上手で、任せておいて安心な先生です。

    彼は歯科医以外の事はできない専門家ですが、このような人は時代や医学界の変化に対応できて生き残れるでしょう。
    彼はスポーツはからっきし苦手だし、手先は器用でも人間的には不器用な人で、商社勤めができる性格にも見えませんが、
    その歯科と言う専門で人生を購い支えています。

    全国歯科医ランキングに乗るような大きな病院ではなく町医者ですが、そうした意識の高い専門家が
    各市町にいて、人を支えているのです。

    ランキングに載らないから腕が悪いとか、需要が無いと言う事はありません。これは極論に過ぎます。

    グローバル化のような時代でも「総合商社形」的人間は生き残れる、とありました。

    しかしこれは、違う分野の物事をこなせないといけないのか、ひとつの専門(医師、教員など)で
    時代の変化に対応できるよう勉強するのかとはまた違うと思います。
    その辺がこの記事では説明不足です。

    需要のある専門分野で、時代に対応できるハイレベルになるのも生き残るのに有効です。

    それから、ひとつの分野で幸せなら別にいいじゃないですか。ひとつの分野へ依存する事と幸せは違います。

    多くの物事に関心を持つのはいい事です。しかし、裏返せば沢山の物を何もかも手に入れないと
    落ち着かないとも言える考えです。
    これが自分であると言う根幹を持っていない人が、多くを手に入れればそれだけ自分が
    保証されるような気がしてよくやるパターンです。

    まだ20代と若く、自分がどうであるかつかめていない故かも知れません。若い内はそれでいいかもしれないけど、
    自分を支える物はそう多くはありません。自分の根幹がそんなに軽々しく変えられる物でしょうか?
    それが無いといつも何かに手を出していないとならない足場のない人間になります。
    仕事はともかく、プライベートでそうなるときついですよ。
    何が自分であるかわからないまま若さの勢いで走っていたフォローを無くす。
    そうすると、途端に何か立場が欲しくなって型通りの人生に収まる。
    そして若い頃とのギャップに苦しむ、と言うパターンも見受けられます。

    新里さんの記事はある面ではわかりますが、物事のとらえ方が一面的で足りない部分も多い、と思います。

    また、ご自分が総合的に何でも秀でている訳ではなく、自信はないと言う事を書いていらっしゃいました
    (謙遜なのかも知れませんが)。
    失礼ですが、そうした人が「総合力を身につけるのがいい」と言うのも変な話です。
    自分でできない事を、どうして偉そうに人に勧めるのでしょう。

    そう言う事は、まずご自分でできるようになってからでないと、説得力に欠けるし、
    単に理想論でわかった気になっているだけではないかと思います。

    新里さんは頭はいいのでしょう。なので色々な事が考えられる。
    しかし、自分の考えだけが物の考えではないと言いつつ、自分の考えがかなり絶対だ、と思ってらっしゃる。
    勉強に自信がありがちな人のミスです。
    ~は~である。と断定する口調が目立ち、かなり狭い範囲だけで知ったような気になっている感じはします。

    人の価値観も世界も非常に広いのです。自分の想像できない世界も価値観もまだ無数にあります。
    それは年齢的な経験がなければ漠然とでもわからないかも知れません。

    20代とは、なまじ若い力でごり押しできるだけに、自分が世界を全部知ったような気になる痛い時期でもある。
    そうではなく、まだ見えない物がある事も気にとめて下さい。

    20代の文章を後で見ると相当痛いです。後で自分がどんなだったか見られるのが楽しみですね。

    時間と共に成熟しないと得られない物はあります。なので、新里さんはこれから年齢を重ねれば、
    もっと広く柔軟な考え方ができる人だと思います。そうした若い世代が増えて欲しいと思います。

    [追加]

    続きの記事「なせこんなに生きにくいのか?」についてです。

    変化のスピードが速くても、最新の物が絶対ではない時代です。
    大事な核となる物は人間そう変化しない物です。最新のスマホ持っても幸せになれる訳ではない。
    (それが商売だと、こんなのいるのか?前の方が使いやすかったとか思いながら
    最新の物をさもいい物のように売らなきゃならない訳ですが…。それが精神の中身の無い社会を作って疲弊させているんだと思う)

    グローバル化ですが、EUについてE・トッドの著作など読まれたのでしょうか。
    違う物を無理に統合しようとするグローバル化は何か違う、と思います。
    悪い方へ変化するのを止められない怖さを感じるのですが。TPPは完全にダメです。
    これについて書くと収拾がつかないのでやめます。

    「日本的な和」はみんな同じの強制になりやすく、結局昔の価値観に戻るだけの気がします。

    ある評論で、「調和とは、それぞれ違った物が同時に存在する事で、新たな意味が出て来る」
    事だとありました。個人の違いを尊重して独立し、同時に公共心を持つと言う事ですね。
    私は違う物を無理に同じにする必要はないと思うし、それは相手の人格への冒涜だと思う。
    みんなが同じ考えをするから調和ではないと思います。

    幸福の拠り所をいくつも用意しておく事が大切、と言う言葉には、何か決まった形の価値観
    (「みんな同じ」的な形とも言えます。そんな物欲しくありませんが)の無い、
    現代の不安定な時代に育った人独特の考えだなと思いました。

    「みんな同じ」的型が無いのは自由で開放であり、また不安定でもあるんですね。

    でも、世間の人ってそんなに自分と言う物を持っていなくて、簡単に幸せの拠り所を無くしてしまうのかな…。
    日本人って「自分」「個人」を持っていないから、何が幸福か拠り所を必死で欲するのでしょうか。
    本当の幸せは、個人の人格なしに得られないと思うのですが。

    私は、自分に都合悪い事を見ないふりをしてごまかさず、自分に納得できる事、
    自分が自分でいられる所にいるのが本当の幸せだと思っています。

    それってかなりハイレベルでもあります。だから、こことここは捨てても、これだけは譲れないと言う一つか二つを
    持つ事も大事なんです。

    思うままに書いたらとんでもない長文になりました。引かないでもらえればいいのですが(笑)。
    何か意見として参考になれば幸いです。

    • 新里(管理人) より:

      由加奈様、コメントありがとうございます。

      率直な意見をありがとうございます。
      参考になりました。

      仰るように、この記事は随分前に書いたものなので、正直何を書いたのかあまり覚えてなかったのですが、久しぶりに読み返してみました。

      たしかに痛い文章です。(笑)恥ずかしくて消去してしまおうかと思いましたが、由加
      奈様のように建設的なコメントを頂くこともあるようですので、(恥を忍んで)残しておくことに致しました。

      「専門家」より「総合家」と言うあれですが…。

      新里さんは勉強ができて頭のいい方だと思いますが、この考えはちょっとレベルを高く取り過ぎではないでしょうか。
      相当高いレベルを想定した考えだな~と…。

      これ普通の人にできるんでしょうか。そんな高いレベルじゃなきゃダメみたいなのは
      うつ病になりそうな考え方のような気がします。

      基本的に、「専門家より、総合家を目指すべきである」という考えは、現在も変わっておりません。むしろ、強まっています。

      私は専門家になりきれない凡人達こそ、「総合家」を目指すべきだと考えています。
      むしろ、1つの専門分野だけで食っていこうとするほうがよっぽど茨の道だと思いますし、「複数の専門分野を身につける = レベルの高い人間しか出来ない」という発想が間違っていると思います。

      「これからの時代を生き延びるヒント」の後半部分でも述べていますが、様々な分野に挑戦するということは「楽しい」ことです。

      自分の興味のあるものから始めてみたらいいのです。面白くもないことを、努力と根性を出して頑張ろうとするから鬱病になるのです。

      「楽しいことだけをやっていたら、飯は食えない」

      という意見もありますが、私に言わせれば

      「楽しくもないことをやり続けて飯が食えるほど、甘くはない」

      と思います。

      そもそも、楽しくないことは続けられません。
      自分を押し殺して頑張るから、精神や肉体を病むのです。
      20代で癌になって、そのことが分かった次第です。

      >どんなに能力がない(と、自分で「可能性」を縛っちゃっている)人でも、その道で10年くらい頑張ったら専門家になれるんですね。

      こう言う考え自体、既に総合的にある程度高い人の考えで、そうでない人は頑張っても専門家になんてなれません。

      もし本当に10年間頑張って専門家になれないのであれば、それは「頑張り方」が悪いです。もしくは、「好きでもないこと」「仕方なくやってる」かのどちらかです。

      極論であるし、ある意味世界の広さを知らないとも言えます。

      んー、極論じゃないと思いますけどねー。

      10年ですよ?10年間真剣に取り組んで、専門家になれないものって、かなり限られますよね。でも、本当に好きなものであれば何年でも取り組めるはずなので、いつかはその域に達すると思います。

      個人的な意見を言わせてもらえば、殆どの人が1年も頑張らずに「極論である」とほざくのではないでしょうか?

      あと、世界の広さを知らないのは、自分の専門分野に閉じこもっている専門家のほうです。

      もちろん私も知らないのですが(笑)、知らないことよりも「(大丈夫だと思って)閉じこもっている」ことのほうが、事態は深刻だと思います。

      この記事で新里さんの言う事はわかります。
      変化の激しい時代にひとつの価値観によっている専門家は対応できない、と言う事だと思います。

      価値観だけではないのですが、概ねその通りです。

      「専門家は環境の変化にもろい」とは、決まった勉強しかできない専門バカ(古い指示待ち人間)の事で、現在の専門家で伸びる人は、日々最新の勉強をしています。

      日々最新の勉強をしている専門家であっても、それが御自身の専門領域を外れているものでなければ、「決まった勉強しかできない専門バカ」であると私は考えています。

      ですから、そういう人だとしても「変化にもろい」と思います。

      親類が歯科医ですが、とても勉強熱心で評判がいいそうです。いつも多くの患者さんの予約が詰まっていて、それをこなしながら最新の治療の勉強をしています。
      一度治療をしてもらいましたが、身びいきではなく上手で、任せておいて安心な先生です。

      彼は歯科医以外の事はできない専門家ですが、このような人は時代や医学界の変化に対応できて生き残れるでしょう。彼はスポーツはからっきし苦手だし、手先は器用でも人間的には不器用な人で、商社勤めができる性格にも見えませんが、その歯科と言う専門で人生を購い支えています。

      AI(人工知能)が歯の治療を行う時代になったら、たとえ№1の歯科医(専門家)であっても、その分野では食っていけなくなると思います。歯科医そのものが必要なくなるからです。

      ディープラーニングを搭載してるAI(人工知能)であれば、自分自身で学習することも出来ます。つまり、日々最先端の勉強をしている勉強熱心な専門家よりも猛烈なスピードで新たな手技・手法を開発していきますので、そこはコンピュータに任せたほうが合理的なのです。

      勉強熱心な専門家を軽視するつもりは毛頭ありませんが、時代から要請されないものは淘汰される運命にあります。厳しい世界ですが、それはもう仕方のないことです。

      であれば、自分の専門分野をいくつも持っていたほうが、生き残れる可能性が高いと思います。

      グローバル化のような時代でも「総合商社形」的人間は生き残れる、とありました。

      しかしこれは、違う分野の物事をこなせないといけないのか、ひとつの専門(医師、教員など)で時代の変化に対応できるよう勉強するのかとはまた違うと思います。
      その辺がこの記事では説明不足です。

      この記事では説明しておりませんが、上記のリンク先では「ひとつの専門(医師、教員など)で時代の変化には対応できない理由」を説明しています。

      需要のある専門分野で、時代に対応できるハイレベルになるのも生き残るのに有効です。

      上記でも触れましたが、いくら需要があっても機械が代替できるものであれば淘汰されます。

      それから、ひとつの分野で幸せなら別にいいじゃないですか。

      いいと思います。
      ただ、別の記事でも述べていますが、そういう幸せは脆いと思います。

      多くの物事に関心を持つのはいい事です。しかし、裏返せば沢山の物を何もかも手に入れないと落ち着かないとも言える考えです。

      これが自分であると言う根幹を持っていない人が、多くを手に入れればそれだけ自分が保証されるような気がしてよくやるパターンです。

      まだ20代と若く、自分がどうであるかつかめていない故かも知れません。若い内はそれでいいかもしれないけど、自分を支える物はそう多くはありません。自分の根幹がそんなに軽々しく変えられる物でしょうか?

      それが無いといつも何かに手を出していないとならない足場のない人間になります。仕事はともかく、プライベートでそうなるときついですよ。何が自分であるかわからないまま若さの勢いで走っていたフォローを無くす。そうすると、途端に何か立場が欲しくなって型通りの人生に収まる。そして若い頃とのギャップに苦しむ、と言うパターンも見受けられます。

      それは、ハイデガーに言わせれば「最大のニヒリズム」です。

      「存在の根拠」を求めようと必死に生きると、「社会的な自分」と「本来の自分」の二重性のギャップが大きくなり、病んでしまうと思います。

      「存在の無根拠性」を認識することから、真の人生が始まると私は考えています。

      失礼ですが、そうした人が「総合力を身につけるのがいい」と言うのも変な話です。
      自分でできない事を、どうして偉そうに人に勧めるのでしょう。

      そう言う事は、まずご自分でできるようになってからでないと、説得力に欠けるし、
      単に理想論でわかった気になっているだけではないかと思います。

      人に勧めているという意図はなく、あくまで私の考えを述べたに過ぎません。

      しかし、自分の考えだけが物の考えではないと言いつつ、自分の考えがかなり絶対だ、と思ってらっしゃる。

      上記で述べましたように、私は「これが自分である」という究極根拠のようなものは、いくら探しても見つからないと思っています。

      見つかったと勘違いしている悟り済ましたような人生の達人()は、ハイデガーに言わせれば最大のニヒリズムです。

      ですので、「私は自分の考えが絶対である」と考えたことはありません。
      自分と確信できる根拠がないのであれば、自分が考えているものだって無根拠だからです。

      続きの記事「なせこんなに生きにくいのか?」についてです。

      こちらも読んでくれたのですね。
      ありがとうございます。

      幸福の拠り所をいくつも用意しておく事が大切、と言う言葉には、何か決まった形の価値観(「みんな同じ」的な形とも言えます。そんな物欲しくありませんが)の無い、
      現代の不安定な時代に育った人独特の考えだなと思いました。

      出来るだけ世の中をフラットに見たいので、何か決まった形の価値観に染まらないように心掛けてはいるのですが、中々難しいですね・・・。

      でも、世間の人ってそんなに自分と言う物を持っていなくて、簡単に幸せの拠り所を無くしてしまうのかな…。

      日本人って「自分」「個人」を持っていないから、何が幸福か拠り所を必死で欲するのでしょうか。本当の幸せは、個人の人格なしに得られないと思うのですが。

      上記で述べたように、私は「自分」というものは、究極的には「ない」と思っています。人種は関係ありません。誰でも探せないし、説明できないと思います。

      だから、幸せの拠り所があるかないかは、特に大きな問題ではないと私は考えていて、「ないものを『ある』と勘違いして、永遠に探し続けている」ことが最大の問題であると考えています。

      参考になれば、幸いです。

      新里

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