いきつけの八百屋さんがあるのですが、そのお店の隣に書店があります。
私はいつも買い物ついでにその書店に立ち寄ります。
新書コーナーに立ち寄り、「なにかおもしろい本はないかな」と物色していると、最近経済産業省を退職なさった古賀茂明さんの著書「官僚の責任」が目に入った。
ネットのニュースやテレビの報道番組を見る度に、「この人は勇気あるなぁ~、sengoku38より凄いじゃん…、」と思っていたので、気になり手に取って読んでみた。
「前書き」を読んでいたのだが、それを読み終える前に何人かの人が来てその本を持って会計を済ましていた。
「お~、この本人気あるんだな~」と思いながら、その本が置いてあった場所を見ると、もう一冊もない。
つまり、私が持っているのが最後の一冊でした。
少し顔を上げると、「新書売り上げランキング」という張り紙が目に入った。
「官僚の責任」が堂々の一位だった。
東日本大震災が起きて、東電や復興関連のニュースが報道されない日はない。
政治家はさることながら、官僚も東電も責任逃れをするばかりで、東北の復興がかなり遅れている。
10年以上前に起きた阪神淡路大震災の時と比べても遅れているそうだ。
もちろん地震の規模や発生した場所が違うので、単純比較は出来ないかもしれませんが、「過去の経験が活かせていない」感は否めない。
と、いうことは何となく分かっているのですが、小さい頃からたくさん勉強してきて、「国の為に、自分の能力を活かしたい!」という志を抱いてくるエリート達が、なんでこうも堕落するのか…、
この疑問がいつも頭の中にありました。
「この本にはその『答え』が書かれているのかな?」
と期待を膨らませながら前書きを読んでいると、
そこで本書では、
「優秀であるはずの官僚がなぜ堕落していくのか」
何が彼らを省益に走らせるのか」
といった官僚の行動心理を、具体例をもとにできる限り平明に解説しながら、外部からはうかがいにくい霞ヶ関の実像を紹介することに主眼を置いた。(出典:古賀茂明『官僚の責任 (PHP新書)
』PHP新書、2011.7.29発行、「はじめに」より引用)
と、書いている!
さらに目次をみると、章をわざわざ一つ設けて「官僚はなぜ堕落するのか」を説明しているようだ。
「おおっ!これは買おうかな」
となりまして、最後の一冊という圧力も加わり、勢いで買いました。
目次
霞ヶ関(公務員)をとりまく「空気」
古賀氏は本の中で、「霞ヶ関は人材の墓場だ」と述べている。
つまり、「いい人材は集まるが、その能力が活かされずに終わる」という事らしい。
いや、むしろその能力が日本の為ではなく「省益」の為に発揮されるわけだから「害悪」になると言ってもいいかもしれません。
官僚になろうと頑張ってくる人達は、もちろん将来の安定性という魅力もさることながら、日本の将来の繁栄の為に、少しでも貢献したいという崇高な動機があるはずなのに、省に入って数年も経つと、何故こうも堕落してしまうのか?
古賀氏の本を読んでみると、
まあいろいろ書かれていますが、
霞ヶ関が、他の意見を受け付けない「閉鎖空間」であり、特権階級であり、そこに漂う「空気」が官僚を盲目にする。
やはりこれに尽きるのではないかと思います。
そのような「空気」に長年浸かっていると、崇高な動機もいつしか既得権益を守るという思考回路に洗脳されてしまうのでしょうね。
私が何故「洗脳」という刺激的な言葉を使ったかには理由がありまして、本の中で先輩官僚が若手の官僚に言い諭すくだりがあります。
それを読んでいると、「上司に褒められたい」という若手官僚の純粋な感情を逆手にとって、「良い仕事とは何か?」という認識を変えさせているのです。
ほめられるのがお好き
また、これは私見ではあるが、官僚が利権拡大に励むようになる理由には、「つねにほめられたい」との欲求が強いことも指摘できると思う。
前に述べた「てっぺんをめざす」こととも関連するが、キャリア官僚になるような人間はたいてい、子どものころから、いつもほめられて育ってきた。
「頭がいいね」 「よくできたね」 「すごいね」 ほめられると気持ちがいいから「もっとほめられたい」と思い、それが動機となって次の目標に立ち向かう。
これをくりかえした結果が官僚の道。
言い換えれば、叱られることに慣れておらず、それゆえ叱られたり、けなされたりするのをことのほか毛嫌いするのである。
こんな人間が提案したアイデアが、「おっ、これ、いいじゃないか!」と先輩にほめられたとしよう。
ほめられたから気分はいいのだが、先輩はさらにこう続ける。
「じゃあ、それを実現するために何か団体をつくれないかな?」、 即座に「こういうのができますよ」と答えると、「いいねえ」と先輩はますますほめてくれるだろう(念のために述べておくが、どんな業界にも何かしらの団体はあるわけで、そこを活用すれば、新たな団体をつくる必要などまったくない)。
逆に「そんなの必要ないじゃないですか」などと断ったらどうなるか -。
「なんだよ、おまえ。頭悪いな」 これが官僚の世界の評価なのだ。
ならば、内心では 「それはおかしい」と感じたとしても、先輩の言うとおりにしたほうが、ほめられて気分がいい。
しかも、なまじ頭がよくて飲み込みが早いだけに、次からは率先して先輩が望む提案をもっていくようになる。
こんなことがくりかえされれば、たとえそれが霞ヶ関の外から見れば「悪」であることでも、気にしなくなってしまうのは道理である。
役人という人種は、外部からの批判はなんとも感じないのだが、内部の大勢に逆らうことはことのほか嫌うのだ。
(出典:古賀茂明『官僚の責任 (PHP新書)
』PHP新書、2011.7.29発行、135頁~136頁より引用)
「良い仕事」 = 「天下り団体を作ること」 このような一種の刷り込みを可能にするのは、霞ヶ関という特殊な閉鎖空間にあるような気がします。
「おかしい」という事は十分承知しているかもしれないけど、先輩や同僚官僚を見捨てる事は出来ないという「同調圧力」や、霞ヶ関独特の人事のシステムも大きな原因の一つでしょうが、
他の意見を寄せつけないような空気が一番の原因ではないでしょうか。
それは、「俺はあなた達とは違うんだ」という、一種の差別意識とか貴族意識のようなものが作り上げていると思います。
ちょっと大げさですが、世間と一切隔離されたカルト宗教のような感じがしないでもありません。
「とは言っても、あれほどの高学歴の人達だ、
頭のいい人達が、なぜ誰が考えてもおかしい論理(国益よりも省益)にハマってしまうのか?」
と、疑問に思うかもしれませんが、オウム信者に高学歴の人が多かった事からも分かるように、ある種の思想、信条の植えつけやすさは、たぶんその人のIQ(知能指数)とは関係ありません。
私達のような「外」にいる人達から見れば、霞ヶ関の論理は異常としか言いようがありませんが、仮に私達が数年霞ヶ関で働いていたとしたら、きっとあのような考え方に染まってしまうのかもしれません。
私達よりたくさんお勉強してきているエリート達ですらそうなるのですから…、
官僚は世界の国々や、国内に存在する様々な諸問題を相手に仕事をしていかねばならないので、大量の情報に触れては分析を重ねてきてきて私達よりはるかに知識や知恵が豊富にある、なので、あまり間違いのない決断・判断が出来そうなものですが、
私達日本人なら誰もが持っている「倫理観」「道徳観」が欠如しちゃっている人達です。
そりゃあ欠如もしてしまうかもしれません。
政・官・財の三大権力の内の一つですから、
「政」は、選挙などで権力が失脚する可能性がある、「財」は、モノや情報が売れなくなれば、倒産という形で権力が失脚する可能性がありますが、「管」は公務員です。定年まで辞めさせられる事はほとんどないでしょう。
三権分立という言葉がありますが、実際は官僚が一番権力が強いのではないか、と私は考えています。
そのような貴族意識を持った長老官僚が、公の為に働きたいという想いがある若手官僚に対して、諭すように教育という名の「洗脳」を施すのです。
その結果、国益よりも省益を考える官僚が量産されていきます。
つまり、磨けば光る人材が「死ぬ」ということです。
人材が育たなければ、たいして実力のない、権力だけある連中が多数派を占めるようになります。
政策能力のある官僚が少なくなります。
これは恐ろしい事です。
政策能力のない官僚ばっかりになったら、日本の未来は絶望的かも知れない
日本の政治があんなに体たらくなのに、何故日本は沈没しないのか?と、外国人は不思議がるのですが、それは単純に日本人のレベルが高いからです。
中小企業がしっかりしていますし、様々な分野で日本の技術はトップを走っています。
いっても官僚は優秀ですから(今までは)、様々な政策を提言し、良くも悪くも政・管・財が一体になって、様々な産業・分野において急成長をしてきました。
一時期は一人当たりのGDPが3位になり、ジャパン・アズ・ナンバーワンといわれていた時期もあったのです。
※日本が高度成長できたというのは、官僚や政治家がしっかりしていたのではなく、なにもしなくても成長出来る時期だったからだと言っている方もいます。
つまり、何をやっても当たる時期だったので、むしろ政治家や官僚が何もしなかったから、商売人や優秀な職人が力をいかんなく発揮出来たのでは? ということです。
しかし、その後日本は「失われた20年」に突入し、ずーっとデフレが続いています。
中国にもGDPで抜かれてしまいました。
さらに東日本大震災も起きてしまい、インフラは壊滅的、普通は円安になってもいいのに円の信用が高過ぎて円高傾向が続いています。
大企業は耐えかねて、政府に力がないとみるや、
「おら、法人税下げねーと、海外行っちゃうぞ」
と半ば脅しともとれる発言をしています。
つまり、さらに雇用が失われる危機があるのです。
まだ、かろうじて日本の技術力は力を失っていません。
日本の中小企業は本当に凄い。
トヨタなどの大企業はいろいろ威張っておりますが、彼らの力だけでトヨタが出来上がっているわけではない、何千もの中小企業がトヨタの下で支えているからトヨタという企業が成り立つのです。
トヨタという大企業というより、何千もの企業からなる共同体なんですね。
何千もの中小企業の中にはここでしか作れない部品もあります。
彼ら中小企業のおかげで「高品質で壊れない車」ということで、世界中で高評価を受けているのですが、何を勘違いしているのか「もっとコストを下げろや!」といきがっております。
誰のおかげで車が作れているのか、彼らのほかにその部品を提供出来る企業がいないのを知ってて締め付けを行っているのかよく分かりません。
トヨタのような大企業より、中小企業のほうが円高でもっと苦しんでいるのだから、大企業がいつもより高値で部品を発注してあげたりなどして助けてあげるべきだと私は思うのですが、これも一種の「貴族意識」なのでしょう。
大企業の助け合いの精神が望めなければ、公の為に働くべき政治家や官僚などがバックアップするべきですが、政治家も含めて官僚も政策に通じる力がなければどうなるでしょうか?
アップルのような革新的な商品を開発してもモノが売れなくなり、企業が力を失い、衰退していきます。
アメリカ、中国、韓国をはじめ、世界の国々では特定の企業や産業を、国がバックアップしています。
少し前の話ですが、中国が、日本やドイツのパクリ高速鉄道を政府の高官が直々にアメリカに出向いてアピールしにいきました。
「そんなものは民間がやるもんじゃないの?」と思っていた日本も、慌てて前原前国交大臣が出向きましたが、認識が甘いんですね。
今の時代、商売人同士が商談をするのではなく、国同士が商談を進めます。
国のバックアップなしでは、いくら技術力が高くて革新的な商品でも、携帯のようにガラパゴス化するのです。
もちろん商品のアピール以外にも、成長産業がさらに発展するように、その分野に進出する企業に補助金を出したり、規制を緩和&撤廃したりすることも、政治家や官僚の仕事です。
※携帯に関しては、企業の販売戦略がお粗末だったという事が大きいですが、もし当時「iモードの可能性」を優秀な政治家や官僚の誰かが気づいていたら、(良いか悪いかは別として)色々サポートすることによってドコモが世界の携帯の標準になっていたかもしれません。
(この点、品質が良ければ売れる、と考えている古賀氏は少し違うと私は思います)
進歩の早い世の中では、企業のみの力では世界を相手に競争出来ません。
世界の企業は、「企業+政府のサポート」で勝負しているからです。
政府と民間が共同で事業や開発を行ったり、新たな技術を発明したりするのは世界の国々では常識なのです。
そんな世界を相手に、能力のない官僚が新たに政策を立案し、様々な規制を撤廃し、中小企業の技術革新を後押しし、世界と立派に戦えるベンチャーや人材を育て上げる風土(政策立案)を作り上げる事が出来るのでしょうか?
TPPに参加するのでしょうか?
日本国内の問題に目を向けてみると、雇用を増やしたり、景気を刺激するような政策立案が出来るのでしょうか? 教育も大切です。
東日本大震災の影響で、東北のインフラはガタガタになってしまいましたが、目方を変えれば、新たな需要を作り上げるチャンスです。
どのような復興計画を政治家に提示するのか?
まあ、古賀氏の本によれば、官僚が様々な案を提示し、「大臣、いかがなさいますか?」と問うても、民主党の実力がなさ過ぎて、(大臣が)決断を下せないらしい(´Д`)
正直、どうしようもないです。
やる気だけが空回りして、官僚を使いこなせる事の出来ない政治主導なんて、自民党政治より悪いかもしれません。 ましてや、早い決断が必要なこの状況では・・・
官僚の思考回路を変換させる公務員制度改革
とにかく、古賀氏は「霞ヶ関は人材の墓場」とおっしゃっています。
ダイヤモンドの原石を腐らせてしまうのです。
古賀氏は、「公務員とは、公僕であり、国家の為に働かなければならない」と述べられています。
私も同感です。
ですが、霞ヶ関はそうはなっていない(地方公務員もそうかもしれませんが…、)。
おのれの属する集団を守る為に、その能力を発揮するような構造になっている。
その仕組みを変えなければいけないと古賀氏は主張しています。
その主張のいくつかには、
「年功序列を廃止せよ」
とか、
「空きポストを作る為にJリーグ方式を導入しろ」
とか、色々興味深い改革案を述べられています。
当たり前ですが、どんな制度にも「穴」はあります。
この記事で繰り返し何度も申し上げていますが、利権を守る事で頭が一杯になっている官僚は、その能力を国民の為にではなく、自らの省益の為に発揮しようとします。
そういうメンタリティー(精神構造)なんです。
どんなに利権や天下りを認めないような厳しい改革を行っても、ずる賢い官僚のことですから、そこから利権を生む手口を考えてくるはずです。
絶対に天下りや利権作りが不可能に見える制度改革が実現しても、そういうメンタリティーを持っている官僚たちは、利権作りや天下りを「あきらめる」のではなく、「どっかに『抜け道』はないものか?」と、せっせと働くのです。
仕事するのが嫌だと思っている部下を、どんなに上司が教育しても、部下は一生懸命「仕事が出来ない理由」「上司を誤魔化す方法」「(手抜きしてでも)仕事を早く終わらせる方法」という方向性で能力を発揮するのと同じです。
つまり、利権作りや天下りをさせない仕組みを作り上げるだけでなく、「官僚自らが国民の為に頑張った方が得だと感じるような制度設計」が必要なのです。
古賀氏の案が素晴らしいのは、その両方が組みこまれていることです。
改革派の官僚や中堅若手の官僚に活躍のチャンスを与えてくれます。
中堅若手は、「今は世間の目も厳しくなっているだろうし、俺らの世代は天下りは絶対無理だろうな…、しゃーない、仕事しようか。」と諦め悟ったような人や、
本当に天下国家の為に尽くす気持ちで官僚になった若手も一定数いるでしょう。
古賀氏の提唱する公務員制度改革案は、そのような中堅若手の能力やモチベーションを起こさせるのに効果があると思います。
公務員制度改革を成功させる為の条件とは
今の民主党の政治能力では、このような改革を行う事は不可能でしょう。
官僚の抵抗に合いますし、全ての政権運営を官僚に依存してしまっていますから、少しも逆らえないでしょう。
かといって最大野党の自民党は、政権担当能力は民主党よりあるかもしれませんが、官僚と同じく、自民党の長老達の様々な既得権益や癒着があって、手足を絡め取られてしまっています。
そのせいで若手が活躍する場が非常に少ない、霞ヶ関と同じく、エスカレーター式に次のポストを順番に待っているような状態です。
自民党も野党に下野した事で反省し、改善しようと努力しているようですが、まだまだうまくいっていない状況です。
私が個人的に頑張って欲しいと思っている党が、みんなの党です。
能力があって、既得権益やしがらみのない、少数精鋭のエリート組織のような感じです。
しかしながら、いかんせん数が少ない・・・、政治は所詮「数の論理」で動きますから完全に力不足です。
少しずつ当選議員数を増やしていっていますが、逼迫した日本経済や被災した人々は待ってはくれません。
ではどうすればよいのか?
古賀氏は本の「おわりに」のところでチラッと述べている。
これは決して手抜きして書いているわけではない。
「数ページ(5ページくらい)割く事で解説が足りるほど、方法が限られている」
ということです。
古賀氏は、「改革に意欲を燃やしている民主党の若手に、志を同じくする自民党の若手が合流する事だ」と述べています。
確かにそうなると若手同士で組む派閥が小沢グループを超えて最大派閥になると思うので、そのメンバーから内閣を構成する人員を輩出することも可能でしょう。
でも、実際にはその若手グループの発言力が増すのを恐れて、民主党の小沢や鳩山グループなどの長老達が、若手の合流を防ごうとして様々な攻撃をしてくると考えられるので、難しいと思います。
仮に合流しても、法律を通す時におそらく「数」が足りないでしょうから、公務員制度改革が「骨抜き」にされる可能性が高いです。
そうなると合流した意味がありません。
私が思うに、公務員制度改革を成功させる唯一の方法は政界再編しかありません。
それも、霞ヶ関の総入れ替えを伴うような政界再編です。
自民党が下野する前、ある番組で評論家の宮崎哲弥さんが「どんな経路を辿ったとしても政界再編は必ず起こる」と言っていました。
政権交代は起こりましたが、政界再編はまだ起こっていません。
今の政治は(世界も国内も逼迫した状況にも関わらず)不安定期が続いています。
私はこの不安定期は森内閣から始まり、今までずーっと続いていると考えています。
本来ならあの時に政権交代が起こってもおかしくなかったはずなのに、小泉潤一郎というスーパースター(もしくはモンスター?)が登場して自民党が息を吹き返しました。
しかし、それで国民の生活が良くなったとか、政治が良くなった(自民党が良くなった)という事では全然なかったので、小泉潤一郎がいなくなった後は、ずるずるとデフレが続いています。
ろくな経済政策も打ち出せず、失われた10年から20年と言われるようになりました。
日本は二大政党制ですから、自民党と民主党から出される法律案が、実質可決されます。
でも、自民党も民主党も意見の一致している人達がまとまっているわけではありません。
右から左まで、様々な意見を持っている国会議員たちが寄せ集まって出来ています。
さらに支持団体の意見にはなかなか逆らえないし、地元の意見も主張しなければならないので、法律として通る頃にはかなり妥協された「骨抜き案」になっています。
宮崎さんがおっしゃった政界再編は起こることは確実だと私は思っていて、それはいつ起こるかの問題だと思っています。
世界再編が起きるのが長引けば長引くほど、東日本の復興は遅れます。
「こんな未曾有の危機に政治の空白を生むなんて…(;`皿´)」
なーんて寝言を言っている方達は今の政治を見て下さい。
今の民主党で政治が動きますか?
英語が出来ない財務大臣がG7(先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議)に出席しています。
ほかの先進国の大臣が英語で議論を交わしている中で、大臣の傍にいる財務官僚は、大臣から見て非常に頼りになります。
財務官僚:「こういうときは、こう応えて下さい(`・ω・´)キリッ」
A大臣:「おおっ、そうか…、助かるよ、(^^;」
そのような経験をさせることによって、大臣を逆らえなくするのです。
事業仕分けを行った事でムダを省けていますか?
強制力を伴わない事業仕分けなど、単なるショーに過ぎません。
しかもあのショーを主導したのは、蓮舫さんや枝野さんではなく、財務省です。
実際この本によると、官僚さん達は余裕綽々だったそうですよ。
東日本大震災に対する対策(情報公開、復興支援、東北の農作物や魚介類に対する補償や対策、住民の避難、原発等のエネルギー政策)に関しては、言うに及ばずです。
以上の事を考慮すると、絶対に総選挙をしたほうが復興は早いでしょう。
もっと言うと、国民に支持されていない、支持率が低下している政権が長く続いていると、霞ヶ関官僚はナメてかかります。
何故なら、官僚の助力なしでは政策を打ち出せないので、相対的に官僚の力が強大になるからです。
「こいつら何もできねーだろ( ゚,_ゝ゚)バカジャネーノ」と、心の中では思っていることでしょう。
そうなると政治家は完全に官僚の思いのまま、この不景気の中、何よりも復興が最優先されねばいけない状況の中、「増税が必要である(`・ω・´)キリッ」みたいなトチ狂った議論が出てくるのは、もう既に、
財務省:「政治家は私達の思いのままですよ(^_-)-☆」
と宣言しているのようなものです。
だから一刻も早く解散するしかない。
解散こそが、今打ち出せる最高の復興政策であり、同時に景気対策であると私は考えます。
しかし、「ただの解散」ではダメです。
先程も申したように、政界再編を伴う解散でないといけません。
国民は、もっと怒らなければならない!
それを起こすには、古賀氏も言っているように、
国民はもっと怒らなければいけません。
私は、以前武士道精神を今こそ!という記事の中で、どんな時でも秩序ある行動をとれる日本人を誇らしく思っていることを述べましたが、行儀が良すぎます。
というか、もっと厳しい言い方をすれば、生きる活力を失っているように見えます。
これは「草食男子」という言葉が生まれたことにも関係があるかもしれません。
なんだかんだ言って、日本は幸せなのです。
ニートでも食っていけるので、わざわざ面倒臭い仕事をしようとする気が起きるわけがありません。
人間は一人では生きていけない存在なので、昔は生きていく為に共同体を構築する必要がありました。
今はなんか知らないけれど飯が食べられるので、人間関係を築くとか、人とコミュニケーションをとるとか、そんな面倒くさい事をする必要がないので、とっても楽な「部屋に引きこもる」ということを選択するのです。
しかし、そのような人達も、漫然とした「不安」を抱えているに違いありません。
すなわち、「このままの状態が続くかどうか」という不安です。
続くわけがありません。
今の日本はニートでも食っていける状態でしょうが、政府が適した対策を講じなければ、親の死が来るよりも早く「今の生活の破綻」が訪れます。
今は痛みのないナイフで、少しずつ体を刻みこまれている状態ですが、リーマンショックやギリシャの危機のように、イキナリ危機が「目に見える状態」「肌で感じる状態」になって私達を襲います。 急にのた打ち回るような激しい痛みが、全身に響き渡るのです。
そうならない為にも、私達の怒りの声を、霞ヶ関や永田町に届けて、一刻も早く政界再編を実現させる必要があると私は考えています。
きっと、心ある自民党と民主党の若手、そしてみんなの党がそれに合流する事でしょう。
アメリカやヨーロッパでも、デモが起こっています。
それは行き過ぎた金融資本主義への反発や、力のあるものが、力のないものから不当に搾取している状態への怒りの行動です。
古賀氏も、この本の最後でこう述べています。
では、政治家たちを動かすのは何か。
国民の強い意志 - やはり、これしかない。
今回の震災で、日本人の我慢強さ、団結力、助け合いの精神などが世界じゅうから驚きの目で見られ、称賛された。
避難所生活が数ヶ月におよんでも、「つらいのは自分だけではないから…」と、黙って辛抱している人たちもたくさんいらっしゃる。
そんな人たちに心の底から脱帽しながらも、でも一方で、私は思うのだ。
「あまりに従順すぎるのではないか。もう少し文句を言ってもいいのではないか?」
暴動こそ起こさないまでも、もう少し不満や要求を言動に出していいはずなのに、多くの人は黙って耐えている。
同様に、政治に対して怒りや不満があっても、それを口にせず、黙って結果を甘受する。
政治家も官僚も、日本人のそういった国民性に大いに甘えてきたのだと私は思う。
彼らは、自分たちの地位や身分が脅かされるとはいっさい思っていない。
だから、あれだけ好き勝手なことができるのだ。
なにしろ、今回の大震災を「増税の絶好のチャンス」と考えている者すらいるほどなのである。
「もう何を言っても変わらないさ…」 結局、そう思ってあきらめている国民が多いのだろう。
選挙の投票率があれほどまでに低いのは、そうした意志の表れなのかもしれない。
「投票しないから、結果としてどんなことになっても文句を言わない」 そういうことなのかもしれないが、しかし、これまで述べてきたように、事態は日増しに深刻さを増している。
これを早く止めないと、ほんとうに日本はたいへんなことになる。
私にこの本を書かせたのは、このとてつもない危機感なのだ。
誤解を恐れずに言いたい。
今回の東日本大震災は、よりよい明日の日本を築くための契機となりうる。
いや、なにがなんでも絶対にそうしなければいけない。
もう一度われわれの足下を見つめなおし、いったい、どうしてこんなことになってしまったのか、官僚や政治家だけでなく、全国民が、原発事故の真の原因はもちろんのこと、その対応も含めて徹底的に検討し、どこが間違っていたのか、何が足りなかったのか、素直に反省し、改革のための糧としなければならない。
日本にはポテンシャルがある。
決してやる気がないわけでもない。
あとは、それを行動に移すだけなのだ。
(出典:古賀茂明『官僚の責任 (PHP新書)
』PHP新書、2011.7.29発行、「おわりに」より引用)
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