努力するから失敗する

私はガンを患って以降、努力とか根性とか、そういう概念が大嫌いになりました。

努力と根性は日本の悪しき伝統
目次 自分の本当の感情に気づいていますか? マインドより大切なもの 「ビジネスマインド」という胡散臭さ ...

何故なら、それが失敗の原因であり、挫折の原因であり、病気の元凶であり、不幸の元凶だからです。

努力や根性には、現状の自分に満足していない、つまり「自己否定」が必ず内在しています。

自己否定からくる努力は、必ず悪い方向に向かう

これが私の現時点での結論です。

「より良い未来に向かって一生懸命頑張る」これ一見すると良いことのように思えますが、私は違うと思っています。

2つ間違いがあると思っていています。まず一つ目の間違いは「頑張る」という部分です(「努力」もほぼ同じとして考えて下さい)。

ここまで読んできた方ならもう分かると思いますが、頑張ったらダメなんです。

よくよく考えてみて欲しいんですが、「頑張る」ってなんでしょうか?何の為に頑張るのでしょうか?

「頑張る」という行為の裏にある深層心理には、「見返りを求めている」という感情が必ずあります(上で書いた「富と名声」のようなものです)。

それが必ずしも悪いわけではありません。それが人間の成長の原動力になっているからです。

ただ、頑張った先に見返りが与えられなかった場合、もしくはその見返りが期待していたほどではなかった場合、人は往々にして不平不満を言い、または絶望します。

上でも書いたとおり、現実の世界は「頑張った分だけ認められる」ようなあま~い世界ではないですから、不平不満がどんどん増え、それが嫉妬や恨みや憎しみの塊になって不幸なまま死んでいくのです。

エジソンは世の中から認められる為に(=見返りを期待して)あれだけの実験をこなしたのでしょうか?もちろん多少は認められたい気持ちはあったのでしょうが、彼は楽しいことをただひたすらやっていただけでしょう。そこに自己否定の入る余地はありません。

2つ目の間違いというよりは、「これに囚われ過ぎたらまずい!」という意味で間違っているのですが、「より良い未来に向かう」という部分です。

ほとんどの人が自分の「より良い未来」を思い描いていると思います。

これ自体は悪くないんですが、この思いや願望が強過ぎるあまり、自分が思い描いている「より良い未来」に囚われてしまう危険性があります。

「より良い未来」に囚われているってことは、「現実を生きていない」ということです。

現実を生きていないという意味では、「古き良き時代だった過去」ばかりを振り返っているのも同じことです(よく居酒屋談義でそういう話になりますよね 笑)。

私は思うんですが、過去や未来の事ばっかりを考えているから、「今」を真剣に生きないのではないでしょうか?

「今」を真剣に生きないで、どうしてより良い未来が訪れるのでしょうか?

仮に訪れたとしてですよ? その未来を肯定出来ますか?

「現実を生きていない」ということは、現実から逃げていること、つまり現在を否定している。現在の自分を否定しているということです。

現在を肯定出来ないのに、その「より良い未来」が訪れて「現在」になった時に、「その現在」を肯定出来るか?と言えば、その器がないわけですから肯定出来るはずがありません。

ここは誤解しやすい部分であり、大事な部分でもあるのでもう一度念を押しますが、「より良い未来」を思い描くこと自体は良いことです。反省する為に「過去を振り返ること」も悪くありません。

でもそればっかりになると「心ここにあらず」の状態になったり、現実と「過去や未来」とのギャップに絶望し、それが不満や怒りになり、嫉妬や恨みや憎しみの塊になって、不幸なまま死んでいくのです。

私はハイデガーという哲学者の思想に影響を受けていますが、彼がこんなことを言っています。

我々は、より良い未来・どこか遠くの理想をあまりに見過ぎていて、我々が生きることが出来る唯一の「今、この現実(瞬間)」をぼやけさせて、見えなくさせて、見もしなくなった。だから我々は誰も真剣に生きなくなった。

ここに成功哲学が含む矛盾が垣間見えます。

ゴールを設定し、計画を立てるからそこに向かって頑張る事が出来る・・・、

これはハイデガーに言わせれば、大嘘なんです。

そんな遠くを見るから、我々が唯一存在することの出来る「今、この現実(瞬間)」を見失う、「本当に大切なこと」を見失う、未来の為に現実を犠牲にするような生き方をしてしまう、これがニヒリズム(虚無主義)の元凶である。
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